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さまざまなアタッチメントスタイルの再演(2021.09.13更新)

関係トラウマと繰り返される対人関係』『愛着トラウマの2つの再演』で、トラウマの文脈で再び犠牲者となることを「リエナクトメント[再演 or 再犠牲者化]」、関係性のなかでの行動化を「エナクトメント[再演]」と呼ぶことを説明しました。

 

不思議なことに、同じようなパターンの出来事は何度も繰り返し起きてきて(リエナクトメント)、それが「侵入的記憶想起(フラッシュバック)」の引き金となる事があります。

 

被虐待児において、虐待的人間関係を反復する傾向が認められることは、しばしば指摘されてきた。すべての対人関係が、支配・被支配という形をとりやすいのである(『発達性トラウマ障害と複雑性PTSDの治療』)と言われています。

また、「そのような暴行を受けやすい傾向は、馴染みのあるものの反復ということを越えて、幼少期のトラウマと関連する防衛的麻痺を反映しているのかもしれない」と考えられています。(『メンタライジングの理論と実践』)

 

セリさんは、幼少期から父親との間で体験していたトラウマ的な体験を再演するような出来事を体験してしまいました。

 

さらに、受け入れがたい出来事は高校になって起きた。

学校でいじめを受けたのだ。

入学した進学校で、髪の茶色がかった私は浮いた。それが原因だったのか、ほどなくして、生徒だけではなく、教師までもが一丸となって、私をつるし上げるようになった。

私は笑いものにされるのが怖くて、授業が終わるまで、トイレの個室で息を殺していたこともあった。

咲・咲生『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました。——妻と夫、この世界を生きてゆく』ミネルヴァ書房

 

エナクトメント」は、こころの中で切り離された矛盾や葛藤などが、気づかないうちに関係性の中に持ち込まれ、関係そのものが違和感や葛藤をはらんだものになることを指しています。

「エナクトメント」は、また「投影同一視」とも呼ばれます。

 

そんな中で、唯一、私を救っていたことがあった。それは、高校に入ってすぐできた、ひとつ年上の彼氏だった。生まれてはじめての両思い、交際。私の心は浮き立った。

だけど、付き合いはじめた翌日のこと、その出来事は起こった。
私が突然「別れたい」と切り出したのだ。

彼は当然戸惑い、引き止めた。私は、そんな彼に追い打ちをかける。
「だって、もう飽きたんだもん」

自分でも、どうしてそんなことを言ってしまうのかわからなかった。だけど止めようと思っても止まらない。

今にも泣き出しそうな顔で「別れたくない」という彼の顔を見て、わたしはようやく安心して告げた。
「いいよ、別れないでいてあげる」

彼は涙を落とし、私を抱きしめた。

それでも、そんなことは、一度や二度じゃなく起こった。

咲・咲生『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました。——妻と夫、この世界を生きてゆく』ミネルヴァ書房

 

セリさんの側から見ると、このような「試し行動」は、「自分でも、どうしてそんなことを言ってしまうのかわからなかった。だけど止めようと思っても止まらない」と自覚されているように、プチ解離、あるいは「美しき(満ち足りた)無関心」のような無頓着な心性としても理解することが可能です。

 

さらに、関係が近くなると不安が強くなる「アンビバレント—とらわれ型」の愛着スタイルを表現し、それが「突き放し—しがみつき」パターンを生みだしているようです。

「成人アタッチメントの動的—成熟モデル(DMM)」で、C5-6に分類される懲罰的/誘惑的な「偽りの認知」と呼ばれる状態です。

 

「アンビバレント—とらわれ型」は、「ヤマアラシのジレンマ」で例えられる事があります。

ある寒い冬の夜、2匹のヤマアラシが暖め合おうと近づくと、お互いの背中の針のような毛が刺さって痛いし、離れると寒い。そのような矛盾や葛藤をはらんだ関係性ということです。

 

最初のうちは、その都度傷ついた顔で私の不安を払しょくしてくれたが、結局、私の試し行為に疲れて、離れて行ってしまった。

私は、私の言動が原因であったにもかかわらず、「やっぱり誰も私を愛してくれないんだ」と誤った思いこみに、さらに拍車をかけた。

親にまで愛されないわたしが、好きな人に愛されるわけがない——と。

 

ほかにも、深く付き合うまでは良好な関係を築けていた人でも、仲良くなると、その対人関係は不安定になった。最初は「こんなに気の合う人はいない」と思っているのに、一度でも、意に沿わない言動行動をされると、「そんな人だと思わなかった」と勝手に幻滅し手のひらを返した。

これは、男性女性に限らず起こった、かつて彼氏に抱いたように、裏切られることへの不安から、「どうせ捨てられるなら、先に捨ててやる」といった自己防衛から来ていたのかもしれない。

そのことは、恋人や親友など深い関係になるまでは起こらない。むしろ、距離があるうちは親しみやすく、魅力もあって、能力も高いと、「いい子」にみられることが多かった。それが、いざ関係が近づくと激変するのだ。

咲・咲生『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました。——妻と夫、この世界を生きてゆく』ミネルヴァ書房

 

この当時のセリさんは「アンビバレント—とらわれ型」がメインですが、のちに援助交際をするようになったときには、「回避—軽視型」と呼ばれるスタイルがメインになっていきます。

 

一般にアタッチメントスタイルは、その人に特有と誤って理解されていることが多いのですが、実際はアタッチメント対象との関係性によって、主に表現されるアタッチメントスタイルは変化するのです。

 

セリさんは「誤った思いこみ」という被害妄想と、被害妄想的な理想化の間を揺れ動いていますから、おそらくこの時は「アンビバレント—とらわれ型」とともに、「無秩序—恐れ型」の愛着スタイルが活性化されていたのではないか、と考えられます。

 

無秩序—恐れ型」の愛着スタイルでは、関係性も自律性も維持することが困難で、関係性に呑み込まれることと、完全な孤立につながる関係回避との間を行き来する「エナクトメント」あるいは「リエナクトメント」の原動力となっていたのかもしれません。

 

セリさんと父親の関係で作られた「条件つきの愛情」が、交際相手との間で再演され(リエナクトメント)、交際相手が泣き出す=自分を見捨てない、という「かりそめの安心感」を得るだけのためにエナクトされていたようです。

 

 

複雑性PTSD、発達性トラウマ障害など、愛着関連のトラウマや愛着の問題、発達障害との関係についての一般向けの書籍は『発達障がいとトラウマ』を参照してくださいね。

 

 

院長

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