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愛着障害と対人関係に向きあう(2021.04.28更新)

「愛着障害」という言葉が一般の人にも知られるようになり、「愛着障害なのではないか?」「もしかしたら愛着障害かもしれない」と思っていたり、あるいは、カウンセラーさん(場合よっては精神科医!)から「愛着障害といわれた」とおっしゃる方がいらっしゃいます。

 

「愛着障害と考えたのは、あるいは診断されたのは、どんな生育歴と症状があったからですか?」とお聞きすると、ほとんどの人が「幼少期の養育者の関係がよくなかった」「両親が不仲だった」とおっしゃいます。

そして現在は「生きづらさ」を抱えていて、「対人関係が苦手」などの悩みを訴えられることが多いのです。

 

さらには『「関係トラウマ障害(外傷育ち)」の自己攻撃状態と被害者モード』や『関係トラウマと繰り返される対人関係』で例をあげたように、「交際相手に依存してしまって、関係がうまくいかない」「DV傾向のある相手を選んでしまう」「交際相手からの束縛から逃げられない」など、対人関係の問題を挙げられることもあります。


このような状態を「愛着障害」と呼ぶのでしょうか?

 

今回の特別企画名である「大人の愛着障害」で用いられている愛着障害という用語について、これが医学用語として正確なものといえるのかどうか、児童精神科医である筆者はいささか疑問に思っている。
(中略)
DSM-5は、非常に深刻な重度のネグレクトを受けていた子どもたちの間でさえ、反応性アタッチメント障害は10%未満、脱抑制型対人交流障害は「ごく少数」にしか生じないとしており、この診断には慎重を期す必要がある。

齊藤. 乳幼児期のアタッチメント不全と大人のメンタルヘルス. こころの科学: 216, 88-89, 2021.

愛着障害の診断は原理的に難しい。アタッチメントシステムが作動していないことが、したがってアタッチメント行動が、誰に対しても生じないことを証明しなければならないからである。まるで悪魔の証明みたいだ、とよく思う。
(中略)
ただただ、生まれ落ちてきたこの世界に、生物学的に前提とされているはずの対象が存在しない、その欠乏を意味している。仮死状態のアタッチメントシステム。

工藤. 人はなぜそれを愛着障害と呼ぶのだろう. こころの科学: 216, 92-93, 2021.

 

愛着障害はアタッチメント対象の欠如(仮死状態のアタッチメントシステム)であるにもかかわらず、両親や交際相手などアタッチメント対象への依存も含め、関係性の問題が愛着障害と診断されてしまうのは、「愛着障害」と「愛着の傷つき」や「愛着の問題」が混同して用いられているためと考えられます。

 

それでもなお、「なぜ愛着障害はそれほどまでに誤用されるのだろう。なぜ愛着障害を広く捉える向きがあるのだろう。愛着障害という言葉には、それが許されるところがあるような気はたしかにする。なぜだろう?(工藤.前掲論文)という疑問が生じますよね。

 

複雑性PTSDや愛着障害の誘因となるような「持続性の、逃げるのが困難なストレス体験」と異なり、養育者のメンタライジング能力の障害(ミスコミュニケーション)は別の次元のストレス体験になります。

 

人は多かれ少なかれ家族や養育関係に傷つきを抱えている。成長の途上で対人的に痛手を被る。このことを表現する何かが求められている。これは愛着の障害だったのだと認識することは、ある種の外在化を導入する。そのこと自体に救いの作用があってもおかしくはない。

私たちは誰も、他者によって生きることが可能となる仕組みを持って生まれてくる。そして、それはいつも十全に満たされるわけではない。そのために多かれ少なかれ関係上の傷つきとその苦しみを背負っている。だから、愛着の障害は身近に思えるのだろう。

障害でないものに、障害という名前をつけて手当てをしたくなるのかもしれない。けれどもこれは甘い囁きに思える。少なくとも二つの罠がある。

工藤. 人はなぜそれを愛着障害と呼ぶのだろう. こころの科学: 216, 92-93, 2021.

 

上記で指摘されている「罠」の一つは、誰しも感じる心的苦痛に対して障害化し医療化することにより、それが心的苦悩に変わってしまう、ということです。

 

もう一つは、外在化の問題です。
愛着障害であると外在化することは、一時的にしろ「生きづらさ」という心的負荷を軽減し、心的苦痛を回避することができます。

 

発達障害にしても心的外傷論にしても、病因の外在化を強調するあまり、問題に向きあう自己の主体性を弱体化させてしまう場合がある。
「生まれつきの脳機能異常なんだから、自分は関係ない」とか「あの事故が原因なんだから、自分にどうこうできる問題じゃない」といった姿勢は、患者を葛藤から回避させ、一見、心的負荷を軽減させる。
しかしながら、主体がこの姿勢を取り続けている限り、事態の本質的な展開は起こりえない。

池田. メンタライゼーションの意義と価値. こころの科学 216: 105-111, 2021.

 

誰しも感じる心的苦痛に対して「愛着障害である」と外在化することにより、主体的自己が弱体化し、葛藤回避傾向が強まって変化を起こしにくくなるだけでなく、他罰・他責傾向が強くなってしまいますよね。

 

毒親は発達障害なのだから許してあげましょう、という内容の本が一時期、物議を醸したことがありました。この本にみられるような二重三重の外在化は、救いになるどころか、かえって主体的自己を萎縮させ、諦めるしかないニヒリズムに導いてしまうのです。

 

最終的にいずれにおいても、悲しみが悲しまれ、痛みが悼まれることが必要であるとしても、広く愛着障害と概念化することは、見立てと手立てにおける問題を引き起こす。
結果として助けを必要とする人物は間違った道筋を辿ることになる。
これを誤用する専門家はその責めを負う。専門家であるとはそういうことではないだろうか。

工藤. 人はなぜそれを愛着障害と呼ぶのだろう. こころの科学: 216, 92-93, 2021.

 

こころの健康クリニック芝大門を受診された人たちの中には、パーソナリティ障害、複雑性PTSD、双極II型障害など主診断が次々に変わって、そのたびに主治医から「全体の経過をみてみると、すべての症状を◇◇として理解することが可能である」と言われていたそうです。

釈然としない思いを抱えながらセカンドオピニオンを受けたところ、「元々の発達障害の要素など気質の影響が大きいかもしれない。病気という視点ではなく自分と向き合い、自分のことをよく知ることが必要ではないか」と言われ、目が覚めたとおっしゃる方もいらっしゃいました。

 

また、『○○療法を受けさえすれば「生きづらさ」が楽になるかもしれない』と、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)や自我状態療法、あるいはTMS(磁気刺激療法)、トラウマに焦点づけた認知行動療法などなど、さまざまなブランド治療を彷徨ってきた人もいらっしゃいました。

 

このような方たちに対して、国際トラウマ質問表(ITQ)をチェックしてもらうと、PTSDや複雑性PTSDには該当しないことが多く、自己組織化の障害の症状、つまり自閉症スペクトラムなどの発達障害の要素がメインのことがほとんどでした。

 

このような人たちは、発達障害の要素とトラウマといえない体験を直結させ、心的苦悩について紡ぎだした愛着障害や複雑性PTSDなどのドミナント・ストーリーを手放せずにいらっしゃるようです。

そのため、「◇◇という診断には△△という治療」と本で読んだ思いこみが強く(プリテンド・モード)、生来的な気質や現在の環境などのバックグラウンドを考慮して治療法を適応するという考えが理解できない方もいらっしゃいました。

 

実際に治療に取り組んでみると自分の心や行動をふり返ることが辛くなってしまい、「本に書いてあったことと違う」「この治療は自分に向いていない」「治療を受けて状態が悪くなった」など、治療技法が効いたか効かなかったかという視点のみをお持ちの方が多かった印象をもっています。

 

さらに、治療者はどんな人で、どのような関わりをして、その体験からどんな意味見いだしたのか、など、治療者との関係はまったく形成されていなかっただけでなく、自分が思い描いた治療をしてくれない治療者のせいにする人もいらっしゃいました。

 

情動調整の一助となるアタッチメント関係や対人関係性の「診立て(診断)」は、必然的に治療方針(手立ての方向性)を導き出します。


俗にいう愛着障害、つまり、愛着の傷つき、あるいは、愛着の問題や愛着の混乱を抱える人に対する「診立て」とは、とりもなおさず治療者の「共鳴(心理的波長合わせ)、内省、ミラーリング(照らし返し)」のプロセスであり、アタッチメントの土台となる治療関係の構築の第一歩でもあるのです。

 

院長

※トラウマ関連のブログは、今回で一旦終了します。また稿を改めて書くことがあるかもしれませんので、お楽しみに。

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