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発達性トラウマ障害と逆境的小児期体験

[2024.02.19]

ICD-11の「複雑性PTSD」の出来事基準は、「拷問、強制収容所、奴隷制度、大量虐殺、その他の組織的暴力、長期にわたる家庭内暴力、幼少期の性的・身体的虐待の繰り返しなど」と定義され、直接体験に限定されています。

 

一方、ヴァン・デア・コークが提唱している「発達性トラウマ障害」の出来事基準は、「対人的な暴力の反復的で過酷な出来事の直接の体験または目撃」および「主要な養育者の再三の変更、主要な養育者からの再三の分離、あるいは、過酷で執拗な情緒的虐待への曝露の結果としての、保護的養育の重大な妨害」などが一年以上持続していること、と身体的虐待の直接体験のほか、面前DV、ネグレクト(育児放棄)が挙げられ、「逆境的小児期体験」と通じる幅を持った出来事基準になっています。

そのため、「発達性トラウマ障害」は拡大解釈される傾向があるようです。

 

発達性トラウマ障害の拡大解釈

発達性トラウマとは認識されていないものの、クライアントが早期のトラウマ体験を持っていることもある。たとえば難産、母親の妊娠時の薬物使用、新生児期の入院、怪我、病気などもその要因となりうる。

(中略)

(逆境的小児期体験)研究では言及されてはいないが、次のような体験もトラウマである

家と呼べるような居場所がない、あるいは実際にホームレスだった/低体重児として産まれたため出産直後に親から引き離された(養育者との接触が制限される新生児室に長くいた)/早期の外科手術、入院、その他の医療トラウマを経験した

ケイン、テレール『レジリエンスを育む』岩崎学術出版社(一部略、太字は原文のまま)

 

上記の引用を一読すると、たしかに一般的な意味での傷つき体験ではありますが、とくに幼少期の対人トラウマの結果である「発達性トラウマ障害」や「複雑性PTSD」などのを引き起こす医学的なトラウマの定義とはかけ離れているようです。(『心的外傷的出来事(トラウマ体験)の諸相』参照)

 

トラウマや虐待の定義を拡大すると、トラウマ的影響を与えないデータが多く含まれてしまうため、「児童期の性的な逆境体験は成人後に精神的影響をもたらさない」という奇妙な結果を生んでしまうとの報告もあるのです。(リンド(Rind)らの報告, 1998)

 

発達性トラウマ障害という診断の必要性

ヴァン・デア・コークによると、そもそも「発達性トラウマ障害」や「複雑性PTSD」という診断名が必要になった経緯は、以下のようです。

 

診断名がないことにより正確な診断が行われないだけでなく、「うつ病、あるいは、パニック障害、双極性障害、境界性パーソナリティ障害などと診断せざるをえないとき、いったい、どう治療すればいいのか」と、科学的な治療法も開発できないというジレンマが生じるとヴァン・デア・コークは述べています。(ベッセル・ヴァン・デア・コーク『身体はトラウマを記憶する』紀伊國屋書店)

 

ヴァン・デア・コークらが幼少期の対人トラウマによる影響を通常のPTSDから区別するために行ったのは、幼少期のトラウマ体験を持つ人たちの症状の特異性の研究でした。

 

PTSDという診断は戦闘から戻った兵士や事故の犠牲者のために作られたのだが、トラウマを負った人には彼らとはまったく異なる人々がいることも、私たちの研究によって裏付けられた。

(中略)

患者たちは三つの集団に分類できた。

子供時代に養育者によって身体的虐待あるいは性的虐待を受けた人々、最近家庭内暴力の犠牲になった人々、最近自然災害を経験した人の三つだ。

これらの集団には明確な違いがあり、とくに、児童虐待の犠牲者と、自然災害を生き延びた大人という、両極端の間の違いが著しかった。

子供のころに虐待された大人は、集中するのに苦労し、絶えず緊張していると不平を言い、自己嫌悪の念に満ちていた。

彼らは親密な人間関係を築いて維持するのが非常に苦手で、見境がなくて危険が大きく不満足な性的関係から、性的活動の完全な停止へと転じることが多かった。

また、記憶に大きな欠落があり、頻繁に自己破壊的行動をとり、多数の医学的問題を抱えていた。

これらの症状は、自然災害のサバイバーには比較的稀だった。

ベッセル・ヴァン・デア・コーク『身体はトラウマを記憶する』紀伊國屋書店

 

幼少期の身体的・性的虐待の既往は、集中困難、過覚醒、否定的自己概念、対人関係の構築維持の困難、記憶障害(解離症状)、自己破壊行動など、のちの「発達性トラウマ障害」につながる問題があることが明らかにされたのでした。

 

発達性トラウマ障害と逆境的小児期体験(ACEs)

幼少期に身体的・性的虐待をうけた人たちは、成人期のさまざまな身体的・精神的な健康問題を引き起こすことが、フェリッティ、カイザー・パーマネントおよびアンダらの「逆境的小児期体験(ACEs)研究」によっても示されました。

 

フェリッティとアンダは一年以上をかけて、10の質問を新たに設定した。

それらの質問は、身体的・性的虐待、身体的・情緒的ネグレクト、親が離婚していたり、精神疾患を抱えていたり、刑務所に入っていたりするというような家庭の機能不全を含む、児童期の逆境的体験の、慎重に定義されたカテゴリーを網羅していた。

(中略)

ACE研究(註:逆境的児童期体験研究)からは、児童期と少年期にトラウマを体験する人は、予想よりはるかに多いことがわかった。

研究の回答はおもに、中流階級の中年の白人で、教育水準が高く、良い医療保険に加入できるほど経済的に安定していたにもかかわらず、児童期の逆境的体験をしなかったと答えた人は、全体の三分の一にすぎなかった。

(中略)

逆境的体験を報告した三分の二の回答者のうち、87パーセントが2点以上を記録した。そして、全回答者の六人に一人のACE得点が、4点以上だった。

ベッセル・ヴァン・デア・コーク『身体はトラウマを記憶する』紀伊國屋書店

 

逆境的小児期体験(ACEs)研究に参加した1万7千人以上の人たちは、中流から上中流層の白人で、健康管理にも関心が高く、「発達性トラウマ障害」との関連が想定されていない人たちでした。

 

それにもかかわらず、全体の三分の二にあたる64%の人たちが、少なくとも1つ以上の逆境的小児期体験(ACEs)の既往があった、と報告しているのです。

 

さらに逆境的小児期体験(ACEs)スコアが高いと、成人後にガンや心臓病などの慢性疾患や精神疾患に罹患しやすく、暴力の加害者や被害者になる可能性が高まると言われています。

 

逆境的小児期体験(ACEs)があるかどうかが「発達性トラウマ障害」と関係するのではなく、逆境的小児期体験(ACEs)の頻度と持続期間(発達性トラウマ障害の診断基準では、最低1年間)、そして他の逆境的小児期体験(ACEs)が幾重にも重なることで「発達性トラウマ障害」が発症しやすくなると考えられるのです。

 

院長

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