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トラウマ関連障害の「過覚醒症状」の治療

[2022.11.07]

スティーブン・ポージェスの「ポリヴェーガル理論」によると、私たちは通常、腹側迷走神経が支配する「耐性領域(社会的関わり反応)」で適切な覚醒状態を保っているそうです。

 

しかし、トラウマの影響を受けると「耐性領域」が狭くなり、感覚の増大や感情的反応、過剰な警戒態勢、無秩序の認知処理など、容易に交感神経の「闘争・逃走反応」を引き起こしやすくなります。これが「過覚醒症状(驚愕・警戒反応)」です。

同時に、感覚鈍磨、感情麻痺、無効な認知処理、身体動作の減少などの「低覚醒状態」、つまり背側迷走神経の「凍りつき反応(シャットダウン)」を引き起こします。

 

トラウマ関連障害のような神経系への負荷がかかった状態では、過覚醒と低覚醒の間を極端に移動することになります。

 

ポージェスは、生体が危機に陥った時、系統発生的な順序とは逆向きに神経系が発動されると考えた。

危機状態において、腹側迷走神経系による社会交流システムが活性化し、人間関係を過ごして危機を乗り越えようと試みる。言業や表情などで、自分に敵意がないことを伝える。

その上でなお危険が迫ると、今度は交感神経系が活性化し、闘争・逃走反応と一括される生理学的状態が引き起こされ、全身の活動が亢進し危機場面からの離脱が行われる。

つまりここまでの時点では、トラウマに関連する状況に対する強い反応という形で生体の危機回避が生じている。

ところがこの一連の闘争反応がうまく働かず、さらに致命的な危機が迫る状況になると、今度は進化の過程でより古い背側迷走神経系が活性化し、凍りつき(フリーズ)として知られるシャットダウンが生じる。身体が動かなくなり、心拍や呼吸は下がり、死んだふり状態がもたらされる。この死んだふり状態は、タヌキやオポッサムの仮死擬態など、さまざまな動物でも目撃されており、最大限の危機状態に陥ったときの生体の反応として広く知られている。

このように、役割が異なった複数の迷走神経の働きによって過剰反応から過小反応へとスイッチが切り替わるという、生体のトラウマ反応の謎が解ける。

杉山『テキストブックTSプロトコール』日本評論社

 

「過覚醒状態」では、たとえば、過去の加害者への怒り、過去の自分への怒り、怒りを引き受けさせられたことへの怒りなど、「再体験症状」に伴う無秩序な認知処理が行われます。

加えて、無秩序な認知処理と同時に、トラウマをはっきりと思い出せない、何も感じないなどの無効な認知処理、つまりトラウマと接触を断つ「回避・麻痺症状」との間を極端に揺れ動くのです。

つまり、トラウマ後の過覚醒症状が持続する事で、腹側迷走神経が支配する「耐性領域(社会的関わり反応)」の適切な覚醒状態(リラックス状態)が保てなくなるのです。

 

過覚醒状態は、過緊張を引き起こすのであるが、この緊張と脱力との反復が認められる。これは次のように訴えられる。

過緊張から生じる、血の気が引く感じ、喉にコルクが詰まった感じ、胃がぎゅっと痛む感じ、これが脱力になると立っているのが困難なめまい感、ふらつき間、震えなどの症状になる。

過緊張に生じる持続的な動悸、頻脈と激しい便秘。緊張が緩むと一挙に虚脱に陥り、下痢や失禁、入浴中の失便すら生じるのである。

杉山『テキストブックTSプロトコール』日本評論社

 

「過覚醒症状」を緩和するために、ほとんどの場合、抗不安薬や睡眠薬などのベンゾジアゼピン系薬物が投与されます。

 

ところが『トラウマ関連障害の「感情調節不全」の薬物療法』で何度も触れたように、抗不安薬や抗不安薬系の睡眠薬は、トラウマ関連障害の治療では禁忌です。

 

成人の場合、寝るときには大量の睡眠薬を用い者も少なくない。すると当然、昼間に眠気が生じ、昼寝をし、さらに睡眠リズムが混乱することになる。

子どもの側は、規則正しい生活リズムが取れずに睡眠不足であることが多い。ゲーム依存も多く、これが睡眠不足を加速させる。

(中略)

睡眠の障害は複雑性PTSDでは普遍的な問題であるが、抗不安薬系の睡眠薬は抑制を外すので、逆に興奮してしまい、さらに眠気によって抑制がさらにさがり、悪性のフラッシュバックが延々と生じ、その結果としての自殺企図、大量服薬などが起きやすくなるのである。

杉山『発達性トラウマ障害と複雑性PTSDの治療』誠信書房

 

抗不安薬や睡眠薬などベンゾジアゼピン系薬物の作用は、『トラウマ関連疾患に対する社会リズム療法』や『傷つき体験や神経発達症特性にともなう不安とカフェインの関係』で触れたカフェインやアルコールなどと似た作用があるようです。

トラウマ関連疾患に対する社会リズム療法

傷つき体験や神経発達症特性にともなう不安とカフェインの関係

 

過覚醒症状(驚愕・警戒反応)」は、PTSDの「再体験症状(フラッシュバック)」「回避症状」、あるいは、複雑性PTSDに特有の「感情調節不全」と密接な関係があり、それが顕著に現れるのが睡眠障害という問題です。

 

夜になって来ると脳が睡眠モードになって皮質による抑制が減弱する。すると抑えられていたさまざまなフラッシュバックが湧き上がってくる。その一方で、次に扱う抑うつは夕方寛解が生じるために夜は最も軽くなる。

そこに抗不安薬系の睡眠薬が入ると、抑制がさらに外れ、嫌な記憶がどんどん吹き出してきて興奮し、収集がつかなくなってしまう。たくさん睡眠薬を飲むか、酒を浴びるように飲むかなどして、死んだように寝るというパターンになるのである。

寝ると今度は悪夢に襲われる。これも深刻な体験で、悪夢に襲われるのを避けるために、寝ることをどこまでも拒否するという人にも希ならず出会う。

つまり、身体が寝る体制になった夜の時間から、入眠するまでの半覚醒の時間をできるだけ短くして、鋭角的に睡眠に入る工夫をしないと、その間に過量服薬、自殺未遂、大量飲酒、違法薬物の使用など、さまざまなトラブルが集中して生じるのである。

こうして薬物などの助けを借りて深夜に死んだように眠れば、当然朝は起きて来られない。また昼間は安全で、睡眠薬の影響などが残っているため、長時間の昼寝をする。そうしてまた夜眠れないというパターンになるのである。

杉山『テキストブックTSプロトコール』日本評論社

 

杉山先生は、「複雑性PTSDへの薬物療法に際して、これまでの精神科薬物療法の常識から離脱することが必要である」(杉山『テキストブックTSプロトコール』日本評論社)と述べられています。

治療を行ってみると、普通の成人の気分障害とは違う極少量の薬物療法で治療が可能な例が大部分であり、むしろ普通の治療をすると、医原性の悪化(代表は抗うつ薬の服用による激しい気分変動)も決して希ではない(杉山. 発達障害の「併存症」. そだちの科学(35); 13-20. 2020.)と警鐘を鳴らしていらっしゃいます。

 

こころの健康クリニック芝大門では、「われわれはもう一度、丹念な臨床を大切にする姿勢を取り戻さなくてはならない(杉山. 発達障害の「併存症」. そだちの科学(35); 13-20. 2020.)という言葉をかみしめながら、トラウマ関連障害の治療を行っているのです。

 

院長

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