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2つの「複雑性PTSD」

[2022.02.21]

WHO(世界保健機構)が作成した分類である「疾病および関連保健問題の国際統計分類」は、ICD(国際疾病分類)と略称されます。

その第11版であるICD-11は、2019年に改訂採択が行われ、2022年に日本語版が刊行予定とされています。

 

このところブログで解説している「複雑性PTSD」もICD-11で採択された疾患分類の1つです。

 

「複雑性PTSD」と「PTSD((心的)外傷後ストレス障害)」は、出来事基準(註:トラウマの定義)には違いがありません。その事情は以下のように説明されています。

 

CPTSD(註:複雑性PTSD)は児童期の持続的反復的な虐待および難民収容所体験をひな形として形成された概念であり、出来事の例示としてこうした出来事が強調されている。

すなわち「もっとも多く見られるのは、そこから逃げることが困難または不可能であるような持続的または反復的出来事である:例えば、拷問、奴隷、ジェノサイド、難民キャンプ、持続的な家庭内暴力、反復的な児童期の性的または身体的虐待」と記されているが、結果的には出来事基準によってCPTSDとPTSDを判別することはできず、CPTSDの出来事基準はPTSDと同一のものとなった。

(中略)

なお、出来事基準に求められているのは生死の危機に関わるような体験、あるいは重度の恐怖をもたらすような体験である。

持続的、反復性という点だけに注目して、差し迫った生命の危機のないいじめ体験やハラスメント、過労などをトラウマ的出来事とみなすことはできない。

金. 複雑性PTSDを論じる意義について. 精神療法 47 (4): 425-431. 2021.

 

DSM-5のPTSDも、出来事基準つまりトラウマ的出来事とは、「死、重症、性暴力被害を直接体験するか、その脅威に曝露されること、または目撃、近親者の被害を知ること(子どもの場合を除く)」、と明確に定義されています。(前掲論文)

 

ICD-11の「複雑性PTSD」の出来事基準も、「生命の危険、脅威をもたらす」というPTSDと同じ出来事基準が採用されました。

 

CPTSDは虐待などを想定して作られた診断カテゴリーであるが、結局のところ、この診断に特異的な出来事基準を確定することはできず,PTSDと同じ基準が採用された。

「多くの場合は持続的、反復的であり、そこから逃げることが困難または不可能」という但し書きがついているが、これはCPTSDに特有の出来事基準ではない。

(中略)

いずれの場合でも、出来事は生命の危険、脅威をもたらすことが必要であり、持続的、反復的という性質だけが十分条件となるわけではない。

金. ICD-11におけるストレス関連症群と解離症群の診断動向. 精神神経学雑誌 123: 677-683, 2021.

 

ICD-11で定義された「複雑性PTSD」は、「生命の危険、脅威をもたらす」出来事に持続的、反復的に曝露され、そこから抜け出すのが困難であった場合に、「PTSDの中核症状である再体験・回避・覚醒亢進症状のほかに、感情調整の困難、自分自身が無価値であるという信念、対人関係維持困難の3つの症状を呈するというもの」です。(大江『トラウマの伝え方』誠信書房)

 

一方、PTSD/複雑性PTSDの出来事基準を満たしたとしても、複雑性PTSDの6つの症状すべてを満たす例は多くないといわれています。

 

ICD-11の診断基準では、6つの症状すべてを満たす者のみが複雑性PTSDの診断となるが、久留米大学の過去の調査でも、6つすべての症状を満たす割合はそう高くなく、相当数の閾値下症例が存在していることが明らかとなっている。

大江『トラウマの伝え方』誠信書房

 

同じ「複雑性PTSD」の名を冠しながらも、ICD-11の複雑性PTSDとは異なる概念が、1992年にハーマンらによって提唱されていました。

「ハーマンの複雑性PTSD」の概念を受けて、ヴァン・デア・コークは「特定不能の重度ストレス障害(DESNOS)」という概念を提唱しました。

 

HarmanはTerrを初めとする先行研究を展望し、主に女性の性暴力、家庭内暴力、性的虐待被害者の臨床研究を踏まえて1992年に複雑性PTSD(Complex PTSD)を提唱した。なおICD-11の複雑性PTSDとは異なる。その特徴は以下の通りである。

1) 感情調節の障害、2) 意識変容、3) 自己についての知覚の障害、4) 加害者についての知覚の障害、5) 対人関係の障害、6) 価値観の変化。

(中略)

彼女の所論を基盤として、他に特定不能な重度ストレス障害(Disorders of Extreme Stress not otherwise specified: DESNOS)が提唱された。(中略)出来事の特徴は人生早期の反復的な対人的トラウマであるとされ、児童期虐待の後遺症をプロトタイプとする。

症状は

1) 感情調節障害、2) 解離による注意や意識の変化、3) 身体化、4) 自己についての知覚の変化、5) 対人関係の変化、6) 持続的信念(意味体系)の変化

とされている。

金. 複雑性PTSDを論じる意義について. 精神療法 47 (4): 425-431. 2021.

 

ハーマンの「複雑性PTSD」も「特定不能の極度ストレス障害(DESNOS)」も、PTSD症状は含んでいませんから、「症状の組合せによって別の操作的診断を割り振る」ことになります。(前掲論文)

 

しかしながら、PTSDの出来事基準を完全には満たさないにしても、ACEs(児童期の逆境体験)は、複雑性PTSDよりもPTSDとの関連が強いといわれています。

 

また「別の操作的診断を割り振る」ことになった結果、以前にブログで引用していた『「死にたい」の根っこには、自己否定感がありました』の著者である咲セリさんのように、うつ病、双極性障害、強迫性障害、パニック障害、パーソナリティ障害、解離性障害、などなど、診断カテゴリーを横断する診断名がついてしまうのです。

 

複雑性PTSD特有の三つの症状(感情調節不全、自分自身を弱く挫折した価値のないものとする否定的自己概念、対人関係維持の困難)は、「自己組織化の障害(DSO)」と呼ばれます。

 

ハーマンの複雑性PTSDや、ヴァン・デア・コークのDESNOS(特定不能の極度ストレス障害)も、複雑性PTSD特有の「自己組織化の障害(DSO)」症状とオーバーラップしています。

さらに、自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠如多動症(ADHD)の特性を持つ人たちのほとんどが、PTSDの症状を有せず「自己組織化の障害(DSO)」症状のみを示します。

 

PTSD症状を満たさないハーマンの「複雑性PTSD」や、ヴァン・デア・コークの「DESNOS(特定不能の極度ストレス障害)」、あるいは自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠如多動症(ADHD)など、「自己組織化の障害(DSO)」症状を主とし、診断カテゴリーを横断する(さまざまな診断名がつく)病態については、以下のように考えられています。

 

多くの1軸、2軸疾患について、先行するトラウマの影響を考慮することで病態の理解と治療関係の構築、効果的な治療支援の提供を促進することに意義がある。

金. 複雑性PTSDを論じる意義について. 精神療法 47 (4): 425-431. 2021.

 

つまり、「小児期逆境体験(ACEs)」に伴う「自己組織化の障害(DSO)」症状を主とする病態は、カテゴリー診断に基づく理解ではなく、トラウマあるいは傷つき体験などの影響を考えることで、治療や支援に役立つ、ということなのです。

 

院長

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