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横断歩道の向こう側

[2020.11.20]

私が治療を受け始めて1年ほどたったある日のことです。

私は母と二人で歩道を歩いていました。すると数メートル先にある横断歩道の信号が点滅しし始めました。それに気づいた母はとっさに走り出し、あっという間に横断歩道を渡り切っていました。

私は赤に変わった信号機と、横断歩道の向こう側に立つ母の姿を眺めながら、「ああ、これってまさに私と母の関係そのものだな」と実感しました。怒りではなく、どこか物寂しく切ない瞬間でした。

 

最近その時の光景をふと思い出したのですが、これまでとは違った気持ちに気づきました。

それは、「あのとき母は一人で先に渡ってしまったけれど、向こう側でちゃんと待っていてくれたんだなぁ」ということです。

 

私はそう思った瞬間、とても温かい気持ちに包まれました。そして同時にいくつかの記憶が蘇ってきました。私の小学校では、自転車に乗るためには実技試験に合格しなければならなかったのですが、その合格証書授与式の日のことです。母は職場から急いで向かってくれたのですが、遅刻してしまい式自体は終わってしまいました。けれど、式の後にヘルメットを購入することになっていて、それには間に合いました。

私は母を待つ間、来てくれないのではないかととても不安でしたが、母の姿を見つけた瞬間涙が出るほどうれしかったことを思い出しました。

また、お腹を空かせている私や弟のために、母は毎日仕事から帰ってトイレにも行かずに夕食を作り始めていました。急いでいたり疲れていたりしたせいもあって、母はよく調理中に指を怪我していました。

母がやっと一息つく頃には、今度はお風呂の準備や食器洗いや洗濯などの家事が次々と待っていました。そういう日常の何気ない日々を思い返すと、母も父も、その時その瞬間を精いっぱい生きていたのだと痛いほど感じました。

 

今日本では「毒親」という言葉がよく知られるようになりました。しかし、注意したいのは「毒親」という人間はいないということです。あくまで、あなたとあなたの親との関係性の話なのです。

私もかつて「毒親」に関する本を何冊か読んだことがありましたが、読み進めると必ずと言っていいほど怒りや哀しみが増強し、摂食障害行動(過食嘔吐)を使って何とか対処しようとしていたことを思い出します。
その頃の私は、この「毒親」という言葉の罠にまんまとはまっていました。

 

自分の親に対して「毒親」というレッテルを張るということは両親に対する怒りを募らせるだけでなく、自分自身と向き合うチャンスを自ら手放してしまうことだったんだと、だいぶ後になって気が付きました。

親と子には、その数だけそれぞれの関係性があります。そしてそれは、その関係性の中にいる者にしか語れません。だからこそ、私はそれを「毒親」というレッテルを一つ貼ることで終わりにしてほしくないと思うのです。そして、あなたの人生の主人公はあなた自身なのだということを忘れないでほしいと切に願っています。

 

そうは言っても、私自身もある時点までは、両親にしてもらえなかったことやしてほしかったことばかりにこだわり、自分の心を乱していたように思います。そして、両親に自分のことを理解してもらいたいとばかり願う一方で、父や母の気持ちを考えようとしたことはあまりありませんでした。

私は、「親」というのは自分にとって「完璧な存在」、つまり自分の期待を“完璧に”叶えてくれる存在であると誤解していたのです。「親なのだから子どもの気持ちを理解するのは当たり前だ」という傲慢さの塊でした。

 

今は、親も一人の人間であり、自分と同じように完璧ではないこと。そして親であっても私とは違う人間で、感じ方も考え方も違って当然なのだということを知っています(この当たり前のことに気づくまでに長い時間がかかってしまいましたが…)。

ですから、今は母が一人で横断歩道を渡ってしまったとしても、私は母がそこで待っていてくれたということに母の愛情を感じるのです。そして、横断歩道のこちら側と向こう側というその距離感が、今はちょうどよいような気がしています。

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