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対人関係療法のこころの姿勢~ジャッジメントに気づき手放す

[2014.06.30]

ScienceDialyという科学雑誌に、医療の場で恥辱感や罪悪感を感じる体験によって健康増進に向かう患者もいれば、うそをついたり避けたりする患者もいるのはなぜか、という論文が掲載されていました。

恥辱感や罪悪感を感じる体験をしたときにそれをどう位置づけるかが、健康増進行動につながったり、回避したり医療者を攻撃したりという2つの態度に区別されたということでした。

 

この論文を読んで私が連想したのは

私たちの気分を悪くするのは他人や出来事そのものではない。
それに対する自分のとらえ方である。
とらえ方を決めるのは自分のこころの姿勢である。

というアティテューディナル・ヒーリングの言葉でした。

アティテューディナル・ヒーリングとは

「こころの姿勢(アティテュード)」を自ら選ぶことによる「癒し」(ヒーリング)のこと。
健康は「こころの平和」と定義され、こころの平和を得るために「怖れ」を手放すプロセスがアティテューディナル・ヒーリングである。
水島広子・著『怖れを手放す』星和書店

とされています。

アティテューディナル・ヒーリングでいう「こころの姿勢」は、「ジャッジメントを手放してありのままの自分のプロセスをただ認める」ということなのですが、自尊心が低下している場合や感情を感じることが充分にできない場合はかなり難しいようです。

どういうことかというと、対人関係療法では出来事と感情、それと症状との関連をみていきますが、『アレキシサイミア~感情言語化困難症』で触れた

・自分では決められないが、プライドは高い
・孤独(お一人様)と思われたくないが、心を知られるのもこわい
・失敗体験は乏しいが、失敗恐怖の思い込みが強い

のような未熟な自己愛のままでとどまっていたり、『発達障害・愛着障害から「ボーダーライン・チャイルド」へ』でふれた「ボーダーライン・チャイルド」のように、パーソナリティの成熟が充分でなかったりすると「現実を距離を置いて眺める」「自分自身を客観視する」という「メタ認知(アウェアネス)」は働きにくいのです。

 

もともと不安への防衛である「理想化された自己」が肥大すると、「理想化された自己」はつねに「本来の自分」に対してコントロールと批判(ジャッジメント)を加えるようになり、さらに監視者(傍観者)として作用します。

そうなると、「理想化された自己である監視者」は、「想像の中の尊大な自分」と「現実の弱くみじめな自分」の間を揺れ動く姿を批判的にモニタリングするようになります。
気分変調性障害の人が、つねに自責感や罪悪感にさいなまれ、みじめで沈痛な気持ちに陥ってしまうのはこのためなのです。

 

このような「理想化された自己である監視者」は自分の言動をモニタリングし批判・評価しているものの『対人関係療法による変化のプロセス~ありのままの自分と出会う』で書いたような自己理解をどれだけ繰り返しても行動に反映されず、状況は変わらないのです。

 

ここで必要になるのは「医学モデル」「病者の役割」であり、さらに「ジャッジメントを下したということに気づき、それを手放す」というアティテューディナル・ヒーリングの「こころの姿勢」ですよね。

まず、気分変調性障害の人たちが「弱さ」と感じているもののほとんどが、気分変調性障害の症状です。
病気を病気として認めて対処していくことは「強さ」です。自分の「弱さ」と感じて恥じたり隠したりするのではなく、病気の症状としてまっすぐに対処していることは「強さ」なのです。
(中略)
ですから、気分変調性障害の治療で目指していく方向こそ、本当の強さを得る方向なのです。
病気は病気と認めてまっすぐに対処し、さまざまな変化においては自分の弱さを頭に置いて柔軟に対処出来る、そんな姿勢こそが強い人間だと言えるでしょう。
こうして考えてくると、気分変調性障害のプロセスは、「自分は弱い人間だ」と思っていたところから、自分の強さに触れることができるようになる道のりだと言えます。
水島広子・著『対人関係療法でなおす 気分変調性障害]』創元社

近年ヴィパサナに基づいた、思考にラベリングするマインドフルネスのやり方が流行りですが、私が修習したシャマタに基づくマインドフルネスのやり方は、ただ一瞥し、手放していく(cutting through)のやり方でした。
アティテューディナル・ヒーリングの考え方を知ったときに、このシャマタによるマインドフルネスと共通するものを感じたんですよ。

院長

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