メニュー

摂食障害と愛着のパラドックス

[2019.08.26]

摂食障害から回復するための8つの秘訣ワークブック』に「回復した人にインタビューしてみよう」という課題があります。

インタビューの目的は、動機づけのロールモデルになってもらうことです。

例えば、回復が進んでいる人たちよりも、30年間摂食障害に苦しんでいるという中年の女性に一番の影響を受けたというクライエントさんの話が紹介されています。

 

日本ではなかなか同じような体験を共有する機会が持てないかもしれません。

それでも、患者さんが書かれているブログを読みながら、自分なりに摂食障害の克服にとり組んできたという患者さんもいらっしゃいます。

 

参考までに、回復された元患者さんのブログの最初のページを紹介しておきますね。

Tamikoさんの『摂食障害を乗り越えて』の「摂食障害克服ブログにします。」、Akoさんの『摂食障害が教えてくれること』の「はじめのいーっぽ」などから、彼女たちの体験を辿ってみてくださいね。 

また梅こんぶさんは『梅こんぶの幸せごちそうさま』の「一番読んで欲しい!対人関係療法で良くなったこと(具体的に。)〜対人関係療法最終回」で、まとめてくれています。

 

ブログを読んでその人に直接問い合わせて、こころの健康クリニックを受診したという患者さんもいらっしゃいましたから、「回復した人にインタビューしてみよう」の課題に取り組むときに、ブログの著者に問い合わせてみるのもいいかもしれませんね。

  

もう何年も、いろいろ変えなきゃ、と自分に言い聞かせながらも、心の奥のどこかで、やっぱりエドと一緒に居続けることになるんだろうなと半分あきらめていました。本当にどうすることもできなかったのです。

エドが大嫌いで、彼から自由になりたいと思い続けている一方で、私の中のどこか小さな部分が、まだまだ彼にしがみついているのでした。

シェーファー、ルートレッジ『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』星和書店</span>

 

摂食障害から回復していくときには、乱れた食行動や摂食障害思考など「摂食障害の部分(エド)」との関係を変化させていく必要がありますよね。

しかし、「摂食障害の部分(エド)」によって、自分の中のどうしようもない気持ちを過食によってなだめ、嘔吐することによる開放感を一時的に感じられることで、「摂食障害の部分(エド)」との訣別に迷いが生じてしまいます。

  

こんなことを毎日繰り返しながら、どうにかやっと、私はエドと一緒にいては、私の望む人生を歩むことはできないのだということに気がつきました。

しかし同時に、彼のいない人生というものも想像できませんでした。

シェーファー、ルートレッジ『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』星和書店

 

「摂食障害の部分(エド)」に助けを求めることによって、安心と慰めが体験されることだけを繰り返していると、自分の心の中で生まれた感情を、耐えがたく受容できないものとして回避してしまうようになります。

そして、その感情を感じないように抑圧することに躍起になり、ますます「摂食障害の部分(エド)」に助けを求め、自分の中で感情を制御できる感覚が低下してしまうのです。

この状態が「いわゆる摂食障害(食べ吐き)がクセになった」「摂食障害に依存している」と感じられるのです。

 

「クセになった」「依存している」と感じる状態を「愛着のパラドックス」と呼ぶこともできます。

摂食障害行動に頼りすぎて、自分では何もできなくなった状態です。 

 

愛着がメンタライジングを妨げるという「愛着のパラドックス」が生じることがあります。

クライエントが愛着関係およびそれによって得られる安心・慰めだけを心理療法に求め始め、苦痛を伴うメンタライジングを回避するようになる場合がそれです。

上地『メンタライジング・アプローチ入門』北大路書房

 

たとえば、摂食障害を治療したと思って医療機関を受診したとします。

こころの健康クリニックでは、まず行動変容を動機づける5段階のうち「熟考期」から「準備期」に移行する準備をしましょう、一人での取り組みが難しければ聞きに来ていいですからね、と説明していますよね。

しかし、愛着のパラドックスの状態に陥っている患者さんは自分と向き合うという作業が苦痛なので、エドが自分を正当化するために作りだした「治療できないと言われた」との解釈を真に受け、残念なことに回復への取り組みをやめてしまう人もいらっしゃるのです。(治療者は「〜ない」のような否定的な表現は使いません)

 

また、治療者による誤った指示によっても「愛着のパラドックス」が生じることがあります。
その場合、共依存とかイネイブリングと同じような厄介な悪循環を引き起こしてしまいます。

たとえば、治療者が患者さんに「摂食障害の発症や生きづらさは、毒親や機能不全家族が原因である」とマインドコントロールすることで、患者さんは免罪符を手に入れ、発達課題を乗り越えることや、向き合うべき課題から目を逸らしてしまいます。

あるいは、「重要な他者(アタッチメント対象:セーフティ・パーソン)」が、拒食症の患者さんのために食べ物を計ってあげたり、過食症の娘のために過食食材の買い出しをしてあげたりすると、容易に「愛着のパラドックス」が生じ、摂食障害の維持・遷延につながってしまうのです。

 

ジェニーさんは「いわゆる底つき体験」をきっかけにして、摂食障害(エド)と訣別しようと決心しました。

  

エドの嘘に気がつきながらも、エドとはうんざりするほど長く一緒に暮らしてきました。

そんな状態にいらいらし、抑うつ感でどうにもならなくなり、もうこれ以上落ちようがないほどのどん底に行きついてから、とうとう、やっとのことで、エドとは永久に縁を切りたいと思えたのです。

シェーファー、ルートレッジ『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』星和書店

 

ジェニーさんは「いろいろ変えなきゃ」でも「どうすることもできなかった」という「熟考期」から、自分が決心して行動(生き方)を変えるという「準備期」の心の状態ができたのです。

  

この時期のジェニーさんが日本の一般的なメンタルクリニックを受診したら、どう言われるでしょうか?

 

過食嘔吐の問題で受診したのに、「いらいらし、抑うつ感でどうにもならなくなり、もうこれ以上落ちようがないほどのどん底」をうつ病やうつ状態と診断され、抗うつ薬が処方されるでしょう。

あるいは「いらいら」「抑うつ感」を気分の波と見なされて双極性障害と診断され、気分の波を鎮めるために気分安定薬が処方されるかもしれませんね。

  

実際に心療内科や精神科などで処方されたお薬を飲み続けている人に良くなった人を見たことがなかった」とAkoさんが「心療内科への通院を決めた理由」に書かれているように、ここでもイネイブリングの問題が出てきていますよね。(※イネイブリング:良かれと思って手助けすることで逆に回復を妨げてしまう援助者の行為のこと)

 

摂食障害の治療は、「充分な診察時間を設けて患者さんの症状を把握し、それぞれに合った治療の対処をしていくようなタイプの病院」を受診することが最初の一歩になります。

そして、Tamikoさんが『過食嘔吐を止めようと頑張ったけど』に書かれているような「乱れた食行動の克服には、丸太の代わりとなるスキルを発展させること」に治療者と一緒に取り組んでいくことが必要不可欠なのですよね。

 

院長

 

▲ ページのトップに戻る

Close

HOME