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摂食障害症状を手放すには

[2020.11.16]

過食や過食嘔吐の治療を希望してこころの健康クリニックの対人関係療法外来を受診した患者さんには、初診時に摂食障害の回復の仕方を説明しています。

 

熟考期》には、「今までのやり方を変えることと、今までのやり方を変える必要がない理由を証明すること、どちらかを自分で選びなさいと言われると、ほとんどの人は証明の方を選ぶ」といわれていることを説明していますよね。

これは経済学者であったガルブレイスの言葉です。

 

しかし、乱れた食行動で悩んでいる多くの女性たちは、変化した後どうなるかの見通しも立たず、変化することと変化しないことのメリットとデメリットもよくわからないため、変化する自信がないことなどさまざまな理由を挙げて、変化することを避けようとしてしまいますよね。

 

精神療法の泰斗である神田橋先生は「精神療法でもすべては本人がやる気があってするんです。行動療法もそうです。山上敏子先生が来て話したと思いますけど、人間は動物と違うから、本人がする気がないのにしたら、滅茶苦茶に悪くなる神田橋條治, PTSDの治療 ,臨床精神医学 36(4), 417-433, 2007」とおっしゃっています。

神田橋先生がおっしゃる「やる気」という言葉を「変化する準備」と言い換えると、摂食障害から回復するための準備として何が必要なのか?がおぼろげながら見えてきますよね。

 

こころの健康クリニックでは、過食や過食嘔吐など摂食障害の治療導入の前に、まず『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』を読んでもらっています。これは回復までの道のりのアウトラインを知り、どういうときにつまづきやすいのかイメージを持ってもらうためです。

次に『摂食障害の謎を解き明かす素敵な物語』を読んでもらいます。これまで過食や過食嘔吐で感じないようにしてきた、あるいはなかったことにしてきた心の動きを理解してもらうのが目的です。

その後、いよいよ『摂食障害から回復するための8つの秘訣』を併用した対人関係療法による治療で、①自分自身との関係を改善する、②行動の仕方を変えていく、③対人関係に変化を起こす、などに取り組む《実行期》に移行し、過食や過食嘔吐など摂食障害から回復する道のりを進んでいきます。

 

時々「本を読んでからでないと治療できないと言われた」と不満そうにおっしゃる患者さんもいらっしゃいます。
上記の説明を、否定語を多用してネガティブに曲解してしまうことも問題なのですが、それ以上に、本を読んでもらう意味を治療の取引条件のように誤解されることも大きな問題です。

 

治療開始前に本を読んでもらうのは「摂食障害から回復するための地図を見ておいてくださいね」「これからあなたが歩いていく道がどうなっているか、ある程度知っておいってくださいね」ということなのです。
しかし、治療者におまかせすれば、自分が望むゴールまで自動的に連れて行ってもらえる、と受動的な患者さんは考えるのかもしれません。

 

たとえば、どこかに旅行に行くとき、ツアー内容を確認せず、またガイドブックも見ないで旅行を計画することはありませんよね。

上記の患者さんの言葉は「ツアー内容を確認してからでないと、あるいは、ガイドブックを見てからでないと旅行の計画を立てられないといわれた」と言い換えられますよね。本来、患者さん自身がどこに行きたいかと主体的に旅行の計画を立てるはずですが、「どこでもいいから私が望むゴールに連れて行って」と、荒唐無稽な期待をツアーガイドに丸投げしている感じがわかりますか?

 

これが《熟考期》の思考パターンの特徴のようです。治療を開始するには受動的な《熟考期》から、主体的に変化を起こす《準備期》に移行しておいてもらう必要があるのです。

 

私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』の「日本語版への序」でジェニーさんはこう述べています。

 

治療を受けようと思うときにはいろいろな障害が立ちはだかるものですが、決してそれらに回復の邪魔をさせないようにしましょう。

なぜ回復できないかの理由は、みなさんなら、いくらでも思いつくでしょう。しかし敢えて、なぜ回復できるのかという理由に焦点を当てることをお勧めします。

シェーファー、ルートレッジ『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』星和書店

 

人間にとっては変化するときには、避けたくなるくらいに、一時的にストレスを感じてしまうわけです。

さらに変化のストレスが高まった中で何かを変えようと取り組み続けるときに、人はいつも自分の行動レパートリーの中で最もよく使う問題解決法で必要を満たそうとします。

たとえ、その方法が役立たないとしても…。

 

摂食障害症状の「ぶり返し(増悪・再燃)」でも同じようなことが起きます。

 

そのときに「なぜ回復できるのかという理由」を考えてみると、どのようなことが考えられるでしょうか?

 

困難にぶつかり、頭から転びそうになるときに、「ああ、エドが押したから」とだけ言って済ませてはいけません。エドと別れて回復するという決断は、完全に私たちの責任です。
エドはもう私たちのことを支配してはいないのです。だから、エドのせいにはできないのです。

(中略)

摂食障害を何と呼んでも、どんな摂食障害行動に苦しんでいても、必ず回復できます。

特定の診断名を理由にして、エドと一緒に居続けないでください。また逆に、診断基準を満たしていないのを理由にして、一緒に居続けないでください。
「君は助けを必要とするほど重症ではないよ」は、エドが大好きな台詞の一つです。

(中略)

摂食障害に苦しむ人たちはなかなか賢くて、目の前の問題を上手に迂回する独創的な方法をついいろいろと思いついてしまいがちです。
食べないで済ませる方法、診察に行かない理由、過食を正当化する方法、その他もろもろについて、いくらでも考えられるのではないでしょうか。

でもときには、手放して、あまり考えすぎないようにして、一歩を踏み出すことが肝心です。

シェーファー、ルートレッジ『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』星和書店

 

私たちにデフォルトで備わっている「原因探し」をしてしまうと、原因を言い訳にしたり「正当化」してしまい、対処行動ができなくなってしまうことが多いようです。原因探しと正当化が、体験の回避を支える理由づけの文脈(言い訳)として作用してしまうのです。

 

Akoさんは「私の人生は私がつくる」で、「人の顔色を読み、場の空気を読み、自分の感情を抑え、他人に同調、他人の評価が軸、問題回避の傾向」「私の摂食障害の基盤となる性格はしっかりと幼少期から形成されてきたと思う」「私の人生がうまくいかない原因は子供の頃の家庭環境が影響していて、親があんな風だったからだと思っていた」と振り返り、「つまらない時間を過ごしていたな」と、原因探しや正当化する理由は何ももたらしてくれないことに気づかれました。

 

そして「ドラゴンボール集めてます。」で「摂食障害を治すために今やっていることが、結果的には私という人間の幅をもっともっと豊かにしてくれる」「そんな気がしていて、これはとてもありがたいこと。そんな感覚」とスピリチュアルなセミナーに参加したときのことを書かれています。

 

ジェニーさんもエドから離れた後は、自分の心を豊かにするスピリチュアリティが役に立ったと書かれていますよね。

 

エドから離れた後のこの段階では、エドという比喩を使うこととはまた違った、回復へと進み続けていくための道具が、とても大きな助けになりました。

精神性、スピリチュアリティとは、そんな道具の一つです。

皮肉にも、回復への道を全身全霊で進むためには、何かを完全に手放す必要がありました。

(中略)

「手放す」というのは、さらりと印刷されているといかにも簡単そうに見えますが、私にとっては本当に大変な作業でした。

シェーファー、ルートレッジ『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』星和書店

 

ジェニーさんも書かれているように「手放す」ことは容易ではないようです。

もしかしたらエドとほんのちょっとだけつながりを保ったままでも幸せになれる方法を見つけられるかもしれない」と考えてしまいますよね。

これは先に挙げた「なぜ回復できるのかという理由」になっているでしょうか?

 

ジェニーさんにとっては大変な作業だった「手放す」ということ。

皆さんは「手放す」とはどういうことだと思いますか?

 

たとえば、お気に入りのペンを手放すとは、手を開いてペンを落として持っていない状態にすること、あるいは誰かにあげてしまうこと、そんな風に考えてしまいますよね。

 

Akoさんが「心の在り方」で書かれていたように、別の次元での「手放す」やり方があるのです。(『摂食障害症状のぶり返しから和解へ』も参照してください)

それが対人関係療法による治療の導入の時に教えている「自分の選択に自覚と責任を持つ」に関係するのです。(解説は次回)

 

「摂食障害とつきあいながら、きょうを生きる」再放送

★放送日:2020年11/18(水)20:00~20:29 (Eテレ)
※NHKプラス⇒同時配信&見逃し配信(11月25日(水)20:29まで)

 

11月23日(勤労感謝の日)は摂食障害のブログはお休みになります。「手放す」の回答は11月30日をお楽しみに♬。

院長

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