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過食の意味と「傷つき体験(プチ・トラウマ)」からの回復

[2015.07.13]

自己主張が出来ないため、常に自分が我慢を抱え込むという形になる。
他者から搾取されていると感じても断れず、常に我慢をして外向きの顔で暮らしているため、本人の負担感は大きい。
そこにたまった負の感情から逃れるために、過食で自らを麻痺させる、ということになる。
水島広子『摂食障害の不安に向き合う』岩崎学術出版社

「自己主張ができない」という過食症の患者さんの特徴は、「過去に傷ついたことがあるために、さらなる傷つきを怖れて言えない」、あるいは、「頭の中で想像した対人関係が不安で言えない」ということにありそうです。
(『摂食障害の回復と「評価への過敏性」の2つの次元』参照)

 

いずれにしても、対人関係を円滑に進めるため、ガマンしたという負の感情を緩和するための方法が、「過食」ということになりますよね。

実際、「過食中は何も考えなくてもよい」、「過食中は悩みが押し寄せてこない」という結城たちの発言が、過食中の体験がフロー体験に似ていることを示す。
過食という行為に自らを一体化させることにより、彼女たちは日常生活で頻繁に起こる悩みや迷いの一切を遮断することに成功しているのである。
(中略)
日常の食を反転させる形で行われる過食は、フローを引き起こし、それは彼女たちが不安と心配事がうずまく日常を乗り切るための術として定着した。
しかし、そのフローは誰とも共有することができない。過食は続ければ続けるほど孤立を生む、悲しい祝祭なのである。
磯野真穂『なぜふつうに食べられないのか 拒食と過食の文化人類学』春秋社

 

「フロー」という行為と意識の一体化を、水島先生は「解離状態」と説明されます。

過食中は、多くの患者が一種の解離状態になっており、人格が変わったようになっている。
過食症状の意味は、単に食べるということよりも、この解離状態に入るということのように思う。
解離状態に入るためには、集中が必要であり、あまり邪魔されるような環境は困るのである。
水島広子『摂食障害の不安に向き合う』岩崎学術出版社

このような「解離過食」を続ける中で、次第に「食べる」意味が混乱し、更なる悪循環に陥ってしまうのです。

 

食のハビトゥス(※社会的に獲得され身体化された性向)を捨てるということは、自らの人生の軌跡の中で作り出してきた食べ物や生き方に関わる意味づけを放棄し、他人の作り出した意味に従属して生きることと同じなのである。
磯野真穂『なぜふつうに食べられないのか 拒食と過食の文化人類学』春秋社

「評価」という「他人の作り出した意味」に従属することを、水島先生は「まな板の上の鯉」と表現されていますよね。(水島広子『見た目が気になる症候群』主婦と生活社・参照)

それだけでなく「従属して生きる」ということは、主体性を放棄した受け身の生き方であり、「まな板の上の鯉」は、相手をコントロールすることもできず、ただじっと評価に耐え続けなければならない、無力な存在なのです。(水島広子『見た目が気になる症候群』主婦と生活社・参照)

 

傷つき体験は過食のきっかけになり、そして過食が続くことで「人々とのつながりの間に生じた亀裂」が生まれ、さらに傷つき体験が重なって、ますます強化されます。(水島広子『ダイエット依存症』講談社・参照)

これが対人関係療法で焦点を当てていく「過食の維持因子」ということになりますよね。

 

対人関係の傷つき体験(プチ・トラウマ)からの回復には

○自分の心の傷を認めること
○傷が癒えるのには時間とプロセスが必要なこと
○そしてその全体を安心がささえるということ

を対人関係療法では心理教育で繰り返し説明していきますよね。

 

そして自己表現をして受け入れてもらうことで自分自身への信頼感(自己肯定感)を取り戻し、きちんと話し合ったりすることで、対人関係のコントロール感(自己効力感)を取り戻していくということが、対人関係療法の治療の本質になりますよね。

院長

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