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摂食障害(エド)とのお別れのうつ

[2021.02.01]

抑うつ症状は、神経性過食症のリスクファクターであり、過食や排出行動に影響を及ぼすことが知られています。

オーストラリア・カトリック大学のジェイク・リナルドン先生らは、「精神療法は、神経性過食症の患者の抑うつ症状を短期間で軽減させる有効な方法であることが示唆された」と述べられています。

このように、神経性過食症と抑うつ状態(抗うつ薬による治療が必要なうつ病ではないことに注意!)は密接な関係にあるのです。

 

悪戦苦闘して取り組んだ摂食障害(エド)との別離によって、ジェニーさんは一時的な空虚感を感じました。

メンタライゼーションでガイドする外傷的育ちの克服』には、この別離(分離)のプロセスを「苦しい分離の作業は、見せかけの分離による空虚うつで始まり、真の分離による分離うつを乗り越えて終わる」と明快な言葉で表現されています。

 

「見せかけの分離」とは、親に対して隠し持っていた依存欲求に自覚がないまま、親から距離を取る行動とされます。(前掲書)

ここで「親」を「摂食障害(エド)」と読み替えると、「見せかけの分離」は「過食(衝動)さえなくなれば、あるいは、過食を我慢しさえすれば摂食障害から回復できる」と考えてしまう状態といえるわけです。

 

また「空虚うつ」は、条件つき自己承認(例:やせれば自信がつくかもしれない)を頼りに生きてきた人の「見せかけの分離」の際に現れる、目標や理想に価値を感じられなくなった状態、とされます。(前掲書)

 

リンジーさんも過食から回復する過程で、「空虚うつ」を体験したようです。

 

過食症なしでは、自分が何者なのかもわからないのですが、自らそれを放棄する前に、誰かが自分の自分らしさを取り上げてしまうのではないかと恐れています。

回復はまた、コントロールの喪失や体重増加を意味するように思われ、両方とも恐ろしいのです。

ホール&コーン『過食症:食べても食べても食べたくて』星和書店

 

たしかに摂食障害の対人関係療法による治療で回復に向かう途中、自分自身と向きあうことは非常に怖い体験と感じる人も少なくありません。

 

対人関係療法で取り組む「自分の心をよくふり返る」ことは、慣れ親しんだ自分のはずなのに決して向き合いたいとは思わなかった、見ず知らずの気のやすまらない赤の他人のような自分と向き合うことでもありますよね。

ですから、自分と向きあうときには、あたかもパンドラの筺を開けてしまうような恐怖を感じることがあります。さらに自分をふり返ってみても、とらえどころがなく、心もとない感じがして、ついつい気散じ(気分解消行動:摂食障害行動)で埋めつくそうとしてしまいたくなることも、対人関係療法による治療の導入の際にお話していますよね。

 

摂食障害からの回復は、アタッチメント対象であった摂食障害(エド)からの分離であり、不安と回避、恐怖感と孤独感に苛まれている「怖れ型/未解決−無秩序型」から、不安は高いけれども回避が低い「アンビヴァレント−不安型/とらわれ型(「見せかけの分離」による「空虚うつ」)を経ていくわけです。

このプロセスは、「6.やめられる行動もいくつかあるけど、すべてはどうしても無理」「7.摂食障害行動はやめられるけど、摂食障害思考が頭から離れない」の段階から、「8.行動からも思考からも解放されているときが多いが、常にというわけではない」に移行する段階に相当します。

 

摂食障害からの回復段階の8段階の「摂食障害のぶり返し」の時に必要な心構えは、《症状がひどくなったときに「もう絶対に治らない」とその波にのまれるのではなく、症状がひどくなったときこそ「自分のストレスを見極めてやろう」と積極的に取り組んでいく姿勢が必要です》という向き合い方とはちょっと違います。

ストレス因を見極めて責任転嫁するのではなく、自分自身の心の動きを見極めることが、「自己の次元における成長」につながるのです。(「自己の次元の成長」の意味である「自己志向」を自尊心と誤って説明されている本がありますので注意してくださいね)

 

「自己の次元における成長」の過程で向き合うことになる[「真の分離」による「分離うつ」]について、崔先生は、こう説明されています。

 

分離うつとは

空虚うつと違い、親に対する怒りと、隠し持っていた依存欲求をしっかりと自覚し、分離の道を自ら進むしかないことを受け入れる時の「お別れのうつ」。

親との分離にとどまらず、「世界中のあらゆる人が私のことを全力で愛して認めてくれたとしても、私の人生の苦悩を丸ごと抱えて肩代わりすることはできない」という心の分離・自他境界の体得につながる。

崔『メンタライゼーションでガイドする外傷的育ちの克服』星和書店

 

このような「分離の道を自ら進むしかない」と受け入れる時、「自分の人生は自分が主人公」という「自己の次元における成長」がもたらされます。

これをジェニーさんは次のように述べています。

 

最終的にあなたの人生からエドを追い出してみると、ぽっかりと穴が空いたように感じられるかもしれません。

はじめは実際にそう思えるでしょう。

でも、その穴をあなた自身の「人生」で埋めていくのが回復の醍醐味です。

シェーファー、ルートレッジ『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』星和書店

 

「見せかけの分離」による「空虚うつ(ぽっかり空いた穴)」に対して、「自分の人生は自分が主人公」と分離の道を自ら進むしかないことを受け入れる(あなた自身の「人生」で埋めていく)ことへの決意が語られていますよね。

 

そうは言っても「分離うつ」は、ある意味、過去の自分に対する「喪の作業」と、未来の自分の「産みの苦しみ」が同時に起きたような状態ですから、苦悩の程度は半端ではなさそうです。

 

「先生の治療に出会えて良かったけど、この事実に気づいてしまったことがつらい」「前の方が楽だった……人のせいにしていれば良かった」「どうやって親の役に立っていない自分の価値を認めるのか、分からない……でもいってみないとわからない」と、ずっと無意識の中で隠し持っていた、「いつか報われて100%抱えてもらえる」という幻想とのお別れを嘆きます。

(中略)

彼らにとって「健康な生きがい」「自分のための人生」はあまりに頼りないものです。
手放す苦しみの中で、先の道も明るく見えない中であっても、この道を逆戻りするわけにはいかないという静かな決意を秘め、その苦しみに耐え一歩一歩ただ一人の道を踏みしめていく姿は、美しい人間の姿だと私は感じます。

崔『メンタライゼーションでガイドする外傷的育ちの克服』星和書店

 

求めても得られない源泉にはもう賠償を求めないような仕方で体験される「分離うつ」。

摂食障害症状のぶり返しを経験した回復段階の8段階目から「9.行動や思考から解放されている」に移行する段階は、真の分離」による「分離うつを乗り越えて「安定型/安定−自律型」にいたる「自己の次元における成長プロセス(自己志向の高まり)」といえるかもしれません。

 

この時、「評価(ジャッジメント)を離れた自覚(スピリチュアルな滋養物)」だけが、満たされなかった自分自身の心を満たしてくれるのです。

 

『さよならエド、こんにちは私』の中では、「エドと離れてみた私とはいったい誰なのか」というよくある問いについても考えてみました。

これも、個人精神療法のときや、友だちと一緒に考えてみると役に立つかもしれません。

「完全な回復」とは何を意味するのかという問いと併せて考えてみるとよいでしょう。

シェーファー、ルートレッジ『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』星和書店

 

「エドと離れてみた私とはいったい誰」なのでしょう?

思うにそれは、評価(ジャッジメント)を伴う思考も内含した、大きな自分自身(深い自己肯定感)なのかもしれません。

 

院長

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