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摂食障害の強迫性と自己愛

[2014.06.09]

過食などの「嗜癖」という行動に対して「新奇追求の高さ」と「損害回避の低さ」がゴー!サインを出し、「自己志向(自尊心)」がストップをかけていたということがわかっています。

しかし、別の気質と性質・性格の関与もあるようです。
それはノルアドレナリンが関与する「報酬依存」という気質で、「報酬依存」の低さは、無関心・批判的で強迫傾向に結びつき、「報酬依存」の高さは、人を喜ばすのが好きとか信頼という表現型になります。

また「協調性」という性質・性格は、自分と他者の違いを認めることに関わっており、「協調性」の低さは、利己的や敵意としてメランコリーに関与し、「協調性」の高さは、共感的あるいは優しさとして依存に関係します。

 

これらの「報酬依存」と「協調性」は、過食症の維持因子の1つである「評価への過敏性(過敏型自己愛)」として、強迫性や回避傾向に結びつきます。

肥大した「自己愛(偽自己)」は不安や抑うつからの防衛として働く一方、偽自己は、自分自身に対して非難とコントロールを向けるようになり、それが出来ない自分との折り合いがつかずに「自己志向」は低下することにつながります。

不健全な自己愛は、現実を離れた優位性への思い込みであり、それは自己評価の高さとはちがって「強さに対する幻想」で、自分の資質を否定し、優れているという思い込みです。
これが自己尊重の否定に向かうのが「気分変調性障害」であり、他者の否定に向かうのが「社交不安障害」ですよね。

また「強さに対する幻想」が病的な万能感につながると、コントロールへの過剰な欲求として強迫行為につながります。

 

不安や抑うつなどネガティブな気分を抱えられないと、過食などの気分の解消行動に向かいますが、一時的な安堵感は得られたとしても、太るのが怖い、あるいは後悔や罪悪感などの気分がよみがえり、さらなる過食や自己誘発嘔吐に没入するという悪循環が生じます。
つまり、嗜癖の根底にある「強迫(過剰なコントロール欲求)」は、強迫的な衝動行為をいくら行っても達成感が得られず、変化しないのです。

 

このような「報酬依存の低さ」や「協調性」に基づく「評価への過敏性(過敏型自己愛)」は、本来の自分自身に対して常に批判的するというジャッジメントを繰り返し、適応的な行動へ反映されないのです。
対人関係療法でのセルフモニタリング』で触れたように、「評価への過敏性(過敏型自己愛)」による気分不耐や強迫傾向がある場合は、過食症の認知行動療法で行うような食事日記・過食日誌は役に立たないばかりか、無力で惨めな自分を浮き彫りにするだけで、行動の変化には結びつかず、さらに苦しくなり症状が悪化します。

つまり、「評価への過敏性(過敏型自己愛)」があると、自分自身の行動を適応的に変容させる「自発性」に対してはは何ら効果はなく、むしろ自己はつねに「不健全な自己愛(偽自己)」から受け身の状態に立たされているのです。

過食症に対する過去の認知行動療法で脱落率が高かったのは、患者特性に応じた治療法の選択ではなく
過食症イコール食事日記・過食日誌のように機械的に治療法を押し付けていたためと考えられます。

 

対人関係療法では、「過敏型自己愛」にともなう自己否定や、評価への過敏性に対しては「症状」との位置づけを行い、「悪いところをなおす」というジャッジメントを手放した上で病気を病気として認めて対処していく「強さ」に焦点を当てていきます。

つまり本来の自己のリソース(レジリエンス)の回復のために、重要な他者との対人関係に焦点を当て「協調性」を伸ばしていくことに加え、自分が真に望んでいる評価とは具体的に何か?それは誰のためのものか?という「主体性(自己志向)」によって「自己愛」の質を変容させていきますよね。

院長

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