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摂食障害と病識

[2015.10.13]

患者さんから相談されたことがあります。

摂食障害の人は、病気だと思えない人も多いそうですが、私の場合は拒食になってからすぐに病院に行きましたし、嘔吐や嘔吐するための過食は病気だからとめられないとわかっているけど、病気とわかっていて、こんなことするのはおかしいと思うんです。
嘔吐や過食をしてしまうのは、病気を言い訳にした、ただのわがままではないんでしょうか?
病気であれば症状に責任を持たなくていいとわかっていてやり続けるのは、確信犯に近いと思うんですけど、どうなんですか?

皆さんはどう思われますか?

 

対人関係療法では、

○ 本人にとっては基本的に望ましくないことで、なりたくて病気になる人はいない。
○ ひとたび病気になってしまうとその症状をコントロールすることは本人にはできない。

それらは、治療可能な病気の症状とみなす「医学モデル」を強調し、「○ 病気と人格を区別することで治療においてマイナスに働く罪悪感を減らす」ということを前提にしますよね。

ただでさえ病気の症状で苦しいのですから、限られたエネルギーを治療に向けるために「自分は何に向き合う必要があるか?」を自覚することが大切です。
それが「病気を治すこと」、つまり「治療に取り組むこと」になるわけです。

 

このように、患者さんが何をなすべきか、ということを明確にしたものが「病者の役割」と呼ばれる考え方です。
病気であると言うことは、単なる状態ではなく、その人は病気を持ちながらこの世の中で生き、人と日々関わっているのです。
ですから、当然、そこで果たすべき役割があります。
自分が病気であると認めること、病気からはできるだけ早く治りたいと思うこと、治療を助けてくれる人に協力すること、など患者さんとしての義務が生じると同時に、病気の症状のためにうまくできないことは免除されます。
水島広子『対人関係療法でなおす トラウ/PTSD』創元社

しかしそれでも、前述の患者さんは、不適切な行動を病気の症状と正当化しているのではないか?と自分自身で疑問を持っておられますよね。

「医学モデル」は「病者の役割」とセットです。
その役割においては、病気の症状には責任を負わない代わりに、自分の病気を認め、治療を受ける義務が生じます。
(中略)
単に、「自分は病気なのだからしかたがない」と開き直ることとは違うのです。
水島広子『対人関係療法でなおす トラウ/PTSD』創元社

と水島先生もおっしゃっていますよね。

 

上記の患者さんがおっしゃる過食や自己誘発嘔吐(排出性障害)、あるいはチューイングもそうですが、どんな症状であったとしても、本人が病気を自覚して治療に向き合う意志を持っていないのであれば、病気の症状として位置づけることは不適切ということになります。

ですから、まだ自分の問題を自覚していない人であれば、健康な人として扱い、その「健康な人の役割」の中で本人の違和感や不適切感が十分に大きくなる(仕事がうまくいかない、対人関係がうまくいかない、という悩みが大きくなる)のを待つしかないのだと思います。
健康な人として扱うということは、不適切な言動は「不適切」と見なす、ということですし、役割期待をする際にも、症状という視点を持ち込まない、ということです。
トラウマ症状としての怒りの爆発を症状として見ず、単なる「不適切な怒りの爆発」として扱い、本人にそのコントロールを求める、ということになります(そして本人は少なくともプライベートな場ではそれをコントロールすることが出来ませんので、親しい関係を維持することはできない、ということになります)。
水島広子『対人関係療法でなおす トラウ/PTSD』創元社

 

つまり、上記を相談された患者さんの症状をコントロールできない罪悪感については、病気と人格の区別を明確にして、しっかりと「病者の役割」を理解して引き受け、治療に向き合うという自覚をもつ必要がある、ということですよね。

院長

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