メニュー

愛着トラウマと摂食障害の「外傷的絆」

[2020.08.19]

毒親——毒親育ちのあなたと毒親になりたくないあなたへ——』の著者の中野先生は、「つい最近も犯罪心理学者の方が奥様を殺めるというショッキングな事件がありました。(中略)でも、そんな人が、自分の抱えているものを処理できなかった、というのがショックが大きいところですよね。わかっているはずの人が、どうにもできなかった、そういう魔力が、「家族の絆」にはあるんだと思います。絆の魔力とでもいうか。これが、理性を失わせてしまう」と、インタビュー《“毒親”の捉え方と解決の糸口》の中でおっしゃっています。

関係性が近くなるほど、メンタライジング能力が低下する、ということですよね。

 

上記の犯罪心理学者の先生に幼少期のアタッチメント関連のトラウマがあったかどうかはわかりませんが、これは反復強迫と呼ばれるトラウマのリエナクトメント[再演]ではないだろうか?と考えていたら、高校生の頃に悪戦苦闘しながら読んだ『カラマーゾフの兄弟』を思い出しました。

 

さて、トラウマの「リエナクトメント[再演]」について、アレン、フォナギー、ベイトマンらは次のように述べています。

 

幼少期にトラウマを体験した既往を持つ多くの患者達は、成人期に多年にわたり高い水準で機能するが、その後に、遅発性PTSDを発症する。

当然のことながら、彼ら/彼女他は「なぜ今頃になって?」と不思議がる。

そのようなPTSDの発症に見舞われる患者にとって、いまリエナクトメントが起きている可能性を考慮することは、常に臨床的に有用である。

アレン、フォナギー、ベイトマン『メンタライジングの理論と臨床』北大路書房

 

「なぜ今頃になって?」の答は、「なじみのあるものの反復ということを超えて、幼少期のトラウマと関連する危険に対する警戒心の防衛的麻痺を反映しているのかもしれない。対人的手がかりを認識することにおける、そのような失敗も、トラウマに関連したメンタライジング不全として理解することが可能である」と、上記の本では解説されています。(下線は引用者)

 

つまり、トラウマに関連したメンタライジング不全が、極端な行動化として現れてしまうわけです。

 

トラウマは、悪いことに、ストレスに対する鋭敏化————つまり反応性の亢進————をもたらす。

つまり、見かけ上は小さなリエナクトメントが、大きな情動反応(つまり、私たちが[10-90]反応と名づけたもの)の引き金になりうる。

アレン、フォナギー、ベイトマン『メンタライジングの理論と臨床』北大路書房

 

小さな「リエナクトメント[再演]」が大きな情動反応を引き起こす例は「最後の麦わら」と呼ばれ、「最後の麦わら」で引き起こされる反応が「10:90反応」です。

 

問題となるのは、私たちが日々生活を送っているかぎり、ストレスに出遭い、何かを喪失し、そしてさらには外傷的出来事に遭遇することはまず避けられないということです。そして、このような避けられないストレスが起きると、あなたは、すでによく知っている唯一の方法で対処します。
(中略)
そして、あるちょっとしたストレスや喪失が起きた後、あなたは精神的破綻に陥ります。
(中略)

それは、あなたは、これまで多くのことを達成し、トラウマにも耐え抜いてきたにもかかわらず、それに比べればささいなことに思われる自動車事故や失業や引っ越しなどといった問題で、どうしてくじけてしまうのだろうかという困惑です。あなたは打たれ強く、落ち着いていて、重大な喪失やトラウマを耐えしのいで無傷でいられるようであるのに、と。

(中略)

現在の現実性の中に、過去のトラウマと類似している要素が10%あるだけで、過去から残りの90%が現在に引き出されてしまうのです。まるで過去のトラウマがまた起きたかのように、闘争・闘争・凍りつきの状態に陥ってしまうのです。
そのトラウマは実際には存在していないものなので、現時点では、通常無害なほんの10%の要素が全面的なストレス反応で受け止められるということになります。

ルイス、ケリー、アレン『トラウマを乗り越えるためのガイド』創元社

 

そのようにして引き起こされた「リエナクトメント[再演]」が「外傷的絆[トラウマ・ボンド]」を形成することが例としてあげられています。

 

外傷的絆が最も周囲を困惑させるのは、おそらく成人期における殴打関係[註:パートナー間暴力]である。つまり、殴られている女性がその関係から離れたがらないことがどうしてありうるのか、ということである。

(中略)

これらの力動に含まれるものとしては、①力の著しい不均衡、②他のサポート源からの孤立、③(今以上に良く評価される価値はないという感情を含む)低い自尊感情がある。

アレン、フォナギー、ベイトマン『メンタライジングの理論と臨床』北大路書房

 

「殴られている女性がその関係から離れたがらない」という部分を読むたび、私はジェニーさん(『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』の著者が体験したエド(摂食障害思考)との関係が思い出されてしまいます。

 

最近、仕事用に上半身の写真を撮影したら、これまで撮った中で一番のお気に入りになりました。肌に赤みが差して、目が生き生きしているのです。

「摂食障害時代」に上半身の写真を撮ったときには、「麻薬でも打っているみたいね」とよく言われました。その頃の写真に写っていたのは、エドとの虐待関係に苦しむ女性の姿でした。

(中略)

回復に向かってこれだけ私が頑張ってきていてもなお、私の中の何かが、いまだにエドのことを信じているのです。

冗談ではなくて、私の中の何かが、どうしてもエドを手放したがらないのです。死に物狂いでエドにしがみついています。

シェーファー、ルートレッジ『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』星和書店

 

「外傷的絆[トラウマ・ボンド]」は、「脅かすという行為が恐怖心を高め、恐怖心は愛着欲求を高める」ために関係から逃れられないということです。

摂食障害の場合は、エド(摂食障害思考)の言うことをを真に受けることで、恐怖心が高まり摂食障害思考の言いなりに行動してしまうのかもしれません。

 

さらに、摂食障害もトラウマも、他のサポート源から孤立することによって、摂食障害思考あるいは虐待者との歪んだ関係を希求してしまうということですね。

 

他のサポート源からの孤立は————Walker[ウォーカー]の言葉を借りれば、あたかも魔法の糊を用いたかのように————虐待者への結びつきを強固にする。その絆は典型的な場合、殴打のエピソードの後に、愛情を伴う小休止の期間があることによって、さらに強固にされる。

一般に、女性は、殴打される関係に留まるだけでなく、離れても再び戻ってくる。驚くまでもなく、そのような行動は、アンビヴァレント-とらわれ型の愛着パターンと関連しており、それ自体が一般に幼少期の不適切な養育と関連している。

アレン、フォナギー、ベイトマン『メンタライジングの理論と臨床』北大路書房

 

ジェニーさんも上記の本の中で、「まず、一番大きな特徴として、エドは、自分と一緒にいれば絶対に私は太らないよ、と保証してくれます。もちろん、太らないかぎり、私はだめな人間には決してならないのです。第二に、エドと一緒にいれば、私は特別な存在で、ユニークで、ほかの誰とも違った存在でいられます。だからきっと、私の中のその小さな一部は、エドが約束するものにあこがれているのだと思います」と、エド(摂食障害思考)との関係のアンビバレントな関係を振り返っています。

 

うつ病モデルによる古典的な対人関係療法は、個人の心の中には焦点を当てずに現実の重要な他者との対人関係に焦点を当てます。

思春期・青年期でアイデンティティの形成過程にある過食症やむちゃ食い症、あるいは気分変調症や不安障害や、パートナーのいない成人期早期には、そのままのやり方でうまくいくこともありますが、青年期以降は重要な他者である養育者(親)とのアタッチメントの動的関係が変化するため、オリジナルな対人関係療法のやり方では治療効果が上がらないことも多いのです。

 

青年期以降から成人期の治療では、メンタライゼーションに基づくトラウマの治療で行うように、患者さん自身の中にある「よそ者的自己」との関係(不和)に焦点を当てます。

そして、迫害者、被害者、傍観的目撃者、救済者という4つの視点を取り上げながら、心の状態を理解するメンタライジング能力を高めていくことに取り組みます。

これをこころの健康クリニックで行っている対人関係療法では「自分自身との関係を改善する」と呼んでいるのです。

 

院長

▲ ページのトップに戻る

Close

HOME