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彼女が伝えたかった9のこと 

[2021.01.08]

しばらく受診が途絶えていた患者さんから「主治医を変えてほしい」と電話をいただいたことがありました。

 

数か月ぶりにその患者さんと対面することになった私は、彼女が入室してくる前からとても緊張していました。何を言われるのだろうかと、とても身構えてびくびく、どきどきしていました。

実際に患者さんを目の前にすると、さらに恐怖感が強くなりました。なんとか「よく来てくださいましたね」と一言伝えると、患者さんは「相性の問題だと思います。」と少し気まずそうにおっしゃいました。

 

それからぽつりぽつりと、言葉少なに教えてくださったことは、「私が10話しても1しか伝わっていない感じがした。通院しても余計ストレスに感じてしまいそうだなと思った。」ということでした。

私は“10話しても1しか伝わっていない”という言葉に衝撃を受けてしまい、「〇〇さんのお気持ちを酌めずに申し訳ありませんでした。」と伝えるのが精いっぱいでした。患者さんは「そんな風に思ってほしくなくて、単に相性の問題だと思います。」と繰り返されました。

 

患者さんが診察室を出たあと、私はしばらく茫然としていました。

そして、徐々に頭が動き始めると「私は患者さんが伝えたいと思っていることを全然わかっていなかった…。なんてだめなんだろう。やっぱり私は治療者には向いていないんだ。こんな私が偉そうにブログなんて書いて恥ずかしい…。」と自己否定、自責感、自己嫌悪といったネガティブな思考が次々と湧いてきました。

 

昼休みになり、胃の痛みを感じながらも軽めの昼食をとることにしました。食べている間もやはり彼女の言葉が頭から離れませんでした。食べ終わる頃やっと頭が動き出してきて、こんなことを考えていました。

彼女は10のうち1しか伝わらなかったと言っていたけれど、じゃあ彼女が伝えたかった9のこととはなんだったのだろうと。私は彼女との最初のやり取りを思い出していました。

 

「正直病気を治したいのかどうか自分でもわかりません。今の私にとって過食は趣味以上の楽しみなんです。」そう言った彼女に対して、私は「あなたがどうしたいのかが大事だと思う。病気と付き合いながら生きていくという生き方もあると思う。」と言いました。

けれども、よく考えると最後の受診からしばらく経っているにもかかわらず、自らクリニックに電話をかけ、「主治医を変えてほしい」と言ってきたこと、本当ならば二度と顔を合わせたくないはずの私にわざわざお別れのあいさつをしに来てくださったこと、それらの言動は「病気を治したいかどうかわからない」という言葉とは真逆の、「良くなりたい」という彼女の強い意志の表れだったのではないかと感じました。

 

それに気づいたとき、私ははっとしました。趣味以上の楽しみである過食を手放す苦しみやつらさを覚悟し、決心して彼女は受診したのだと。そして彼女は、まずは一言「よく来たね」と言ってほしかったのではないかと痛感したのです。それなのに私は、そんな彼女の葛藤には気づくことができませんでした。

さらにはお別れのあいさつに来てくださった彼女を前に、私は自分が責められるのではないかと身構えることに精いっぱいで、彼女もきっと同じような気持ちでその時間を過ごしていたのかもしれないなどと察する余裕はみじんもありませんでした。

 

午後の診療が始まる前に生野先生に、昼休みに考えたことを話しました。整理しながら話そうとしたのですが、自分でも驚くほど感情が溢れでて泣きながら話しました。

先生は黙って聴いてくれたあと、「そうだね、それが今日言えたらよかったね」と言いました。私は、2度もあったチャンスを不意にして「よく来たね」の一言が言えなかった情けなさと申し訳なさでいっぱいでした。

そして、「申し訳なく思ってほしくない。相性の問題だと思う。」と言う精いっぱいの彼女の思いやりに、少しだけ救われたような気がしました。

 

しかしこの時の私は、まだ本当の自分の課題に気がついていませんでした。なぜこの日、私は患者さん本人に「伝わらないと感じた9のこととはどんなことだったのか」を訊けなかったのか。

その時の私はそこに目を向けようとはしませんでした。そしてこの後さらなる事件が待ち受けていたのでした。

 

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