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ダ・ヴィンチのたとえ 

[2020.08.07]

物心つく前から、父はよく私にこう話していました。

「本当に頭のいい人というのは、勉強だけでなく何でもできる人のことを言う。スポーツも音楽も、美術も何でもできる人が頭のいい人だ。レオナルド・ダ・ヴィンチみたいな人を言うんだ。お前も勉強だけじゃなく何でもできる人にならないとだめだ。」と。

 

今思うと、ダ・ヴィンチのようになりたいともなれるとも考えたことはありませんでしたが、「何でもできないとだめなんだ」という考えはこの頃から徐々に私の中に浸透していったように思います。

 

当初「何でもできないとだめ」という教えは、もともと負けず嫌いだった私にとっては、むしろプラスに働いていたような気がします。勉強やスポーツ、芸術など様々な分野に興味を持って取り組み、苦手なことにも挑戦しようとする原動力となっていたと思います。努力することでできなかったことができるようになったり、賞をもらったりと、自分の納得のいく結果や他者からの評価が得られているうちは、そういう生き方に満足できていたのだと思います。

 

しかし段々と、苦しい生き方に変わっていきました。私は「何でもできないとだめ」という考えに縛られ、無意識のうちに自分の苦手な道を選択するようになっていました。「何でもできるようにならないといけない」と思えば思うほど、自分に足りないもの、できないことを補わなければと考えるようになっていったのです。

しかも、どこまでやってもどんな結果でも満足できず、やり終えた時には「もっと頑張れたはずなのに」と感じるようになっていきました。好きなことや得意なこと、自分の心は本当はこっちに行きたいと知っているのに、敢えてその逆の道を選ぶのです。それはまさに、自ら茨の道を進んでいくようなものでした。

そして不思議なことに、私がどれだけ頑張っても、どんなに他者からの評価を得ようとも、全く自信を持てなかったのです。むしろ頑張れば頑張るほど自分の鎧だけが頑丈になっていき、その下に隠れている「本当の私」はますます萎縮していくような気がしました。

 

そんな私が摂食障害の治療の中でやってきたこと、それは自分の中で小さく縮こまっていた「本当の私」に気づき、それをそのまま受け入れることだったのだと思います。人は生まれたときからでこぼこで、それがその人らしさなんですよね。

ですから、私が「何でもできるように」なるためにやってきたことは、いつしかそんな自分らしさを否定することに繋がっていったのだと思います。

そしてもう一つ大切なことは、成長し成熟するということです。私たちは、色々な経験や人との関わりを通じて成長したり、自分の内に向かって成熟したりして変化していくのだと思います。

 

また、最近私が感じるのは人はデコボコだからこそ、パズルのピースのようにぴったりはまる場所があるのではないかということです。デコボコだからこそ、それぞれの個性や能力を活かしながら、人と人とが助け合って生きていけるのではないかと思うのです。

私自身も、治療を受けて「円」に近づいた訳ではありません。今も変わらない部分やできないことや苦手なことはたくさんあります。けれど家族や職場の仲間、患者さんをはじめ、毎日たくさんの人に支えられ、教えられ、生かされていると感じています。

 

今日は最後に私の好きな金子みすゞさんの詩で締めくくりたいと思います。

「私と小鳥と鈴と」 

 

私が両手をひろげても、 
お空はちっとも飛べないが、 
飛べる小鳥は私のように、 
地面を速く走れない。 

私がからだをゆすっても、 
きれいな音は出ないけど、 
あの鳴る鈴は私のように、 
たくさんな唄は知らないよ。 

鈴と、小鳥と、それから私、 
みんなちがって、みんないい。 

 

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