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摂食障害症状のぶり返しから和解へ(2020.11.09更新)

摂食障害症状が増悪・再燃(ぶり返し)したときには、《熟考期》や《準備期》の思考が戻ってくることが必ずあります。

 

こころの健康クリニック副院長の風間先生は、「症状の再燃(ぶり返し)」のときに頭の中の大部分を占める「白か黒か」「0か100か」「良いか悪いか」といった二者択一の思考は、何かを不安に感じている」からこそわかりやすい答えが欲しくなるのであって、その背景には多くの場合「自分へのダメ出し」があり、さらにその根底には「その時々の私自身の課題が隠されていましたと述べていらっしゃいます。(『症状のぶり返しの先に』参照)

 

《摂食障害が教えてくれること》でAkoさんは、「ぶり返す」「私の人生は私がつくる」「SNSと体重計」などで、摂食障害症状が増悪・再燃(ぶり返し)したときの心の状態について書いてくださっていました。(現在はAkoさんのブログは削除されています)

ぶり返しの時期には、「摂食障害思考や摂食障害症状とまたよりを戻すことになるのではないか?」という不安が大きくなることが、治療初期の心の動きと違うわけです。

 

ジェニーさんは、摂食障害症状が増悪・再燃(ぶり返し)したときの心の中で起きていた自問自答のうち、[エドとほんのちょっとだけつながりを保ったままでも幸せになれる方法を見つけられるかもしれない]という考えは、苦しさをまぎらわすための言い訳だと気づきましたよね。

 

どうしたらいいかは私にはわかっていました。でもそうすることを拒んでいたのです。

なぜ実行することができなかったかについては、あらゆる理由がありました。

大変だから。つらいから。怖いし疲れている、というよりも体力も気力も使い果たしてしまった。

一番説得力がありそうな理由は、もしかしたらエドとほんのちょっとだけつながりを保ったままでも幸せになれる方法を見つけられるかもしれない、というものでした。

 

でも、これは大間違いでした。

こう信じているかぎり、私は適当なところまでしか回復できないということに気づいたのです。この曖昧な回復には、その状態を維持できないという大きな問題があるのです。

中途半端であるかぎり、エドとの関わりを繰り返すうちに、必ず摂食障害に引き戻されてしまうのです。

シェーファー、ルートレッジ『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』星和書店

 

Akoさんも「最近のワタシ。」で、「食べたいな、何か食べたい。今日はやめようか、いや少しだけなら買っちゃおうかな。いやダメダメこのまま帰ろう」と、「エドとほんのちょっとだけつながりを保ったままでも幸せになれる方法を見つけられるかもしれない」という葛藤の中にいたことをふり返っていらっしゃいましたよね。

 

このようなときには、日々生きていく中で起きてくる出来事をどう捉えるか、どう体験するか、によって、摂食障害症状を使って心の動きをなだめたり麻痺させたり、なかったことにしたりしないことが重要です。
(『症状のぶり返しの先に』参照)

そして、きちんと向き合い心を観察することと、心の枠組みを広げることに取り組むことによって、少しずつ、自分という感覚が生まれてきます。

 

「ドラゴンボール集めてます。」でAkoさんは、「気がつけるようになったこと出来るようになったことが本当に沢山あって」と、ジェニーさんと同じように進歩をふり返ってみることにも取り組まれていました。

 

それでも、原稿を書き上げた十年前、またなぜだか摂食障害の深みにはまってしまった私は、その原稿を読み返すことになりました。そう、家族や友人たちのアドバイスに従って自分の原稿を読み返してみたのです。

この本の最後の部分では、エドのいない人生がどんなにすばらしいかを語っています。それなのに私は、またエドとの生活に舞い戻っていたのです。

 

では、いったい私はどうやって回復への動機づけをまた見出せたのでしょうか?

実は、今までとはまったく違う視点から自分に問いかけるように努力したのです。私はどのように成長してきているだろうか、と。

行動の面で摂食障害が再燃していても、何もかもが振り出しに戻ったわけではありませんでした。

シェーファー、ルートレッジ『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』星和書店

 

Akoさんも「ぶり返す」で、「これまで過食欲求がきた時に私がやっていた方法の、『他のことをして意識をそらす』、気を紛らわす努力をするというのは『闘う』を選択をしているので、結果的に抑制となってしまい痛みを強く感じる辛い方法なのだそう」と、この時期(註:治療後半)での増悪・再燃のときには、新たなやり方を試す必要があったことを書かれています。

 

私は摂食障害を擬人化して「エド」という比喩を使った大きな理由の一つは、自分の回復への歩みに対して、このようにして責任をもちたかったからです。

(中略)

たとえば、私もいつの間にかエドという比喩を完全に使わなくなっていました。この比喩も自転車の補助輪と同じで、ただの道具だったのです。

回復への道のりをたどり始めたばかりの頃は、何よりもまず摂食障害から自分を切り離して考えることが必要でした。

エドという比喩は、その時期には勇気と確信を与えてくれてとても役に立ちました。回復しはじめの段階では、エドという敵と戦っているのだと考えると、自分を摂食障害から切り離せる感じがして、自信が湧いてきたのです。

でも、回復への道をどんどん進んでくると、やがてエドとむやみに戦ってはいけない時期がきました。

シェーファー、ルートレッジ『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』星和書店

 

ジェニーさんも「エドとむやみに戦ってはいけない時期」について書いてくださっています。

 

この時期には、擬人化されたエドの言いなりにならないという闘争の時期が終わり、「私の場合、「もっと上手に振る舞う」とは、回復を目指す行動を何度でも選び、そのたびに私の選択に責任を持つことを意味しました」と、自分の選択に自覚と責任をもつ状態、つまり《摂食障害(エド)との和解と統合のプロセス》に入ってきますよね。

 

理解するのはちょっと難しいかもしれませんが、この段階を超えて皆さんは摂食障害から回復していきますから、自分の中で何度も繰り返してシミュレーションをしてみてくださいね。

 

院長

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