語り得ないトラウマと複雑性PTSD
『複雑性PTSDの診断基準と発達障害(神経発達症)特性』で、「トラウマ(傷つき体験)や虐待(躾)、毒親の存在を強調される発達障害(神経発達症)特性を有する人たちと比べ、外傷的イベントを体験した人は、トラウマ的な出来事そのものが語られない(語ることができない)という宮地先生の論考そのままだな、と感じています」と書きました。
複雑性PTSDの診断基準と発達障害(神経発達症)特性
宮地先生は『環状島へようこそ-トラウマのポリフォニー』の著者で、トラウマ研究の第一人者であり、先生が提示された【環状島】モデルはトラウマの理解に非常に役に立つので、簡単に紹介しますね。
〈環状島〉モデルとは、トラウマの犠牲者、被害者、支援者の関係、トラウマと社会の関係などを表現する図である。
〈環状島〉とは、中心部に沈黙の〈内海〉があるドーナツ型をした島のことであり、トラウマの核心は沈黙のゼロ地点である。
〈内海〉を取り囲む〈内斜面〉には生き延びた被害者のうち、声をあげることのできる人がいる。〈外斜面〉には支援者が位置する。
トラウマをめぐる語りや表象は中空構造をしていて、トラウマが重すぎれば言語化されずに〈内海〉に消えてしまう。亡くなってしまう。重度の精神障害で語れなくなるなどの場合がそれである。通院などで姿は見せても、内面を語らなかったり、言っていることが了解不能である場合は、〈内海〉か〈波打ち際〉にいることになる。
島の形成に影響を与えるものに、〈重力〉〈風〉〈水位〉がある。
〈重力〉は、PTSD反応や抑うつ、解離症状などトラウマがもたらす症状である。
〈風〉は対人関係の混乱や葛藤、〈水位〉はトラウマに対する社会の否認や無理解、無関心、偏見を意味する。
宮地. 清水., 複雑性PTSDと統合失調症. そだちの科学: 36 (4), 46-53, 2021
実際、こころの健康クリニック芝大門で診療していても、複雑性PTSDと診断した人は、「いつトラウマ体験を聴かれるのだろうか?」と身構えた不安と緊張感が伝わってきます。
一方、幼少期の躾は厳しかったからあれは虐待ではないか、自分にはトラウマがあるのではないか、と感じられる方のほとんどは、どんな症状があるかということよりも、躾の内容や傷つき体験の内容について「外傷性イベント(生命に関わるトラウマ体験)」であるとの承認を求めるかのようにみずから進んで話され、関係性が深まらないと感じることもよくあります。
このブログで何度も示してきたように、そもそも複雑性PTSDは、慢性的に繰り返される「外傷性イベント(生命に関わるトラウマ体験)」を土台に、心的外傷後ストレス障害(PTSD)症状に加え、自己組織化障害(DSO)症状を満たすものですよね。
複雑性PTSDは、児童虐待やDVといった慢性的な極度ストレス体験のために、PTSD症状に加え、空虚感や非力感、無価値感など一貫して否定的自己認知を持つこと、安定した人間関係を築くことの困難、感情の制御困難があることが特徴である。
特に幼少期から慢性的に支配関係におかれ、虐待を受け続けた場合、人格形成にも大きく影響を及ぼす。それゆえに情緒不安定性パーソナリティ障害などの診断がつくことも多い。
そのほか、表面に現れる症状によって、遷延するうつ病や不安障害、身体化障害、摂食障害、解離性障害、依存症といった病名で通院している人も少なくない。
重症化すれば、統合失調症様症状(サイコーシス)を呈することもあり、統合失調症と誤診されているケース、あるいは誤診とはそう簡単に言い切れないケースも見られる。
宮地. 清水., 複雑性PTSDと統合失調症. そだちの科学: 36 (4), 46-53, 2021
『複雑性PTSDの診断基準と発達障害(神経発達症)特性』でも、「慢性の抑うつ、嘔吐を伴わない過食、中途覚醒などを主訴にこころの健康クリニック芝大門を受診された方の中には、PTSDの3主徴と自己組織化障害を認め、複雑性PTSDと診断することもよくあるのです」と書いたように、さまざまな臨床診断の背景に複雑性PTSDの特徴を見出すことが多いのです。
上記の論文で宮地先生は、「トラウマは語り得ない」ことを強調されています。
トラウマはおぞましく重いほど、語り得ない。語られるべきものは厚く積み重なって存在するにもかかわらず、声をあげる力や余力が奪われたり、PTSDの症状として回避されたりする。
内容が語られなければ幻覚妄想や恐怖発作を含め、表面に現れた症状のみで判断されることになる。そのため、複雑性PTSDであっても統合失調症と誤診を招いたり、依存的で自虐的な患者と解釈されかねない。さらに解離症状が強い場合、現実検討能力を下げ、何が事実だったのか空想なのか患者自身でも混乱し、周囲からの信頼も失っていく。
誤診原因の1つとして、トラウマが語られにくいと同時に、治療者側が素直に聴きづらいということもある。
(中略)
「アイデンティティと自律性を発展維持しかつ世界からの持続的な脅迫と危険からまぬがれるために、他者との直接的なかかわりあいから自分をきりはなし」ているという可能性も指摘しうる。(この辺りは発達障害と統合失調症の鑑別にも関わってくるだろう)
このような点から見れば、語らないでいることとは、複雑性PTSDにおいても統合失調症においても重要な自己防衛手段の1つと考えられる。
宮地. 清水., 複雑性PTSDと統合失調症. そだちの科学: 36 (4), 46-53, 2021
「語り得ないトラウマ」に対して、どのように他の疾患と鑑別し治療していけばいいのか、については次回以降に考えていくとして、上の引用のように「語り得なさ」は自己防衛手段の1つではないか、と宮地先生は論考されています。
両者(註:統合失調症と複雑性PTSD)を鑑別する意義として、生まれ持った認知の過敏性が主たる問題なのか、極度のトラウマがもとになっているのかで、本人たちに社会が与える視点が異なることが挙げられる。
複雑性PTSDと診断することは、長年のトラウマを認識、共有し、そこからの解放を目指すことである。
統合失調症と診断することは、みずからの特質を受け入れつつ、社会の中で活きることを目指すことである。
病態認識の違いは、治療していくうえでも重要となる。しかし、語ることが限られた中で、ジレンマが治療者にまとわりつく。例えば、どちらを見逃してはならないのかという問題である。診断が本人や社会に与える影響は大きく、どちらの疾患も見逃すことは避けたい。
統合失調症を見逃さないことによって、早期治療の機会を得、自傷他害などの悲惨な結果を防ぐ意義がある。一方で、従来は統合失調症というと、治療が不可能で、よくなったとしても常に再発の可能性がある、人格の荒廃に至る、予後不良な疾患として悲観的に見られてきた。統合失調症の軽症化も伴い、スティグマは軽減されつつあるが、統合失調症と診断するのは慎重さを要する。
複雑性PTSDが統合失調症とされるとは、トラウマを見過ごされるだけでなく、否定されてきたわけである。
複雑性PTSDの診断が有力である人たちの中には、トラウマに触れられるのを避けるために、統合失調症という診断を甘んじて受ける人もいるくらいである。
長年統合失調症を隠れ蓑のようにして生きてきた人たちにとって、複雑性PTSDと新たに診断されることには、トラウマに向きあうための時間が必要になるかもしれない。その点、複雑性PTSDの診断に躊躇が及ぶ可能性がある。
宮地. 清水., 複雑性PTSDと統合失調症. そだちの科学: 36 (4), 46-53, 2021
上記引用では、複雑性PTSDと統合失調症の鑑別診断のもたらす影響について論じられています。
ここで再び「トラウマの語り得なさ」が、恐怖、おぞましさ、非力感などが内界から吹き出てくるのを防ぐ、1種の自己防衛手段であることに回帰しますよね。
「語り得ないトラウマ」に対してどう向き合えばいいのか、について、今後も考えていきましょう。
院長