メニュー

ストレスチェックと「適応障害」の治療の周辺

[2022.04.18]

世界保健機構(WHO)の診断基準であるICDも、アメリカ精神医学会の診断基準であるDSMも、「通常のストレス反応を過剰に医療の対象としない」ことを明言しています。

 

例えば、失恋後の辛さなど「愛別離苦(あいべつりく)」、イヤな上司と毎日顔を合わせる苦痛など「怨憎会苦(おんぞうえく)」、転職先がなかなか決まらず不安でたまらないなど「求不得苦(ぐふとっく)」、なんだか生きづらいなど「五陰盛苦(ごおんじょうく)」、などなど、人間であれば当然誰しも感じる苦しみを医療の対象としない、ということです。

 

そのような意味で、「適応障害は疾患として特定のプロファイルをもたずに、生活上の困難に対する情緒的、認知的、行動的問題を医療化するものであり、診断的に不安定であり、診療報酬の支払のため程度にしかその意義がない」(『DSM-5を読み解く4』中山書店)といった手厳しい批判もあります。

 

人が経験する通常の心的苦痛や反応を、適応障害として医療の対象とした場合、適応障害に対する抗うつ薬の効果が実証されていないにもかかわらず、抗うつ薬や抗不安薬が過剰処方されることにつながることへの懸念がある。

実際のところ米国では、適応障害の患者における抗うつ薬の処方割合の増加が他疾患に比べて最大であったという報告がある。

DSM-5を読み解く4』中山書店

診断基準を鑑みて、ストレス因の消失によって速やかに軽快する経過に、果たして治療的介入が必要なのかという疑問がわいても不思議ではない。実際、産業精神医学の場面では、職種の不適合の是正のみで軽快する例がみられる。
適応障害に対する薬物療法ならびに非薬物療法ともに、残念ながら、有意な有効性を示すものはほとんどみられない。その意味では、投薬は最小限にとどめる必要があるかもしれない。

平島. 適応障害の診断と治療. 精神神経学雑誌 120: 514-520, 2018

 

ところが御多分に洩れず、ほとんどの「適応障害」に抗うつ薬が処方されているのが現状です。

 

「適応障害」とまぎらわしい疾患』で引用したジマーマンらの比較研究では、「適応障害」では「食欲不振、体重減少、不眠がより多く認められた」とされています。

 

もし、「適応障害」に対して必要最低限の薬物療法を行うとすれば、抗うつ薬ではなく、スルピリドや睡眠導入剤の少量投与、あるいは漢方薬による治療で済ませるべきでしょう。

 

薬物療法以上に大切なことは、「職種の不適合の是正」、つまり環境調整によりストレス因を減じつつ、不適応的なストレス反応を適応的に変えていくコーピング・スキルの指導ということになります。

 

ちなみに、精神科産業医として社員さんと面談する場合、「疾病性」ではなく、勤怠・安全・パフォーマンスといった「事例性」に着目し、話を聞いていきます。

産業医は診断面接をしてはならないことになっているのですが、精神科を専門とする産業医ですから、面談しながら頭の中で鑑別診断も行います。

 

その理解を元に、主治医の診断・治療方針が妥当かどうかがわかるだけでなく、社員さんが出来事(ストレス因)をどう捉え(認知的)、どんな気持ちになり(情緒的)、そして、どのように対処したか(行動的)の面から、社員さんのコーピングを理解し、どのような環境調整が必要か、を考えているのです。

 

適応障害ではそのストレス因に対する実際的な対策として環境調整が実施されることが少なくないが、患者の主観的体験を理解することなしには適切な環境調整はできない。

例えば、極端な場合、温厚な上司に対して、患者自身の「厳しく批判的な母親イメージ」を投影して、怯え、孤立し、疲弊してしまっていることさえある。

その場合、発症した環境から遠ざけることだけでは解決にはならず、患者がどのような主観的な体験をしているかを理解したうえで、患者が自身の認知の偏りを理解できるよう促したり、周囲がその対応を工夫できるよう促す必要がある。

平島. 適応障害の診断と治療. 精神神経学雑誌 120: 514-520, 2018

 

2015年に、労働者数が50人以上の事業所では、年1回のストレスチェックが義務化されました。

精神科産業医として高ストレス者面談を行っていると、高ストレス者に該当する人の中には、以下の3つのパターンがあることが見えてきました。

 

① ストレス因だけが高い人

② ストレス因もストレス反応も高い人

③ ストレス反応だけが高い人

 

緩衝因子としての上司や同僚、あるいは家族のサポート(ストレス反応を和らげる緩衝要因)も考慮に入れる必要がありますが、ストレス因として以下の9項目が挙げられています。

 

1. 負担感:心理的な仕事の負担(量)、心理的な仕事の負担(質)、自覚的な身体的負荷

2. 裁量度合:仕事のコントロール度、技能の活用度、仕事の適性度、働きがい

3. 環境因子:職場の対人関係のストレッサー、職場環境によるストレッサー

 

心理的な負担感に対しては、業務内容の確認や、適性を踏まえた業務分担、勤務時間に適した業務量の調整、外勤や出張などの心身の負担が大きい業務を控える、などの環境調整で対応できます。

 

仕事の裁量度合に対しては、業績評価制度や今後のキャリアパスとそれに必要となるスキル、あるいは担当業務や取り組み方について相談し、現職での環境調整で改善しない場合は、より本人の事情に適した職場への異動を検討することになります。

 

ちなみにこれらの対応は、産業医の助言を元に職場が行うものであり、臨床医が指示するものではありません。

 

つまり、「①ストレス因だけが高い人」、「②ストレス因もストレス反応も高い人」、に対しては、医療ではなく産業保健の現場で解決していく、ということになるわけです。

 

さて、上記で引用した平島先生が挙げられている例では、「環境因子との不適合に対してどう対処すればいいのか?」ということが問題になりますよね。

 

このような人が高ストレス者に該当すると、「③ストレス反応だけが高い人」に該当しますから、産業医としては医療機関の受診、あるいはカウンセリングや心理療法を勧める、ということになります。

 

活気の低下、イライラ感、疲労感、不安感、抑うつ感、身体愁訴(胃痛、下痢など)の心身の反応(ストレス反応)がある状態は、「適応障害」と考えてよさそうです。

 

さて、さまざまな心身のストレス反応が出ている場合、投薬での治療で改善が見込まれるでしょうか?

「③ストレス反応だけが高い人」の治療は、次回のブログで一緒に考えて行くことにしましょう。

 

「適応障害」と診断されて通院中の方は、冒頭で引用した「人が経験する通常の心的苦痛や反応を、適応障害として医療の対象とした場合、適応障害に対する抗うつ薬の効果が実証されていないにもかかわらず、抗うつ薬や抗不安薬が過剰処方されることにつながる」という意味についてふり返ってみるといいかもしれませんね。

 

院長

▲ ページのトップに戻る

Close

HOME