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否定的自己概念と解離〜気分変調症との違い

[2021.09.06]

気分変調症」は軽症うつ病として知られていますし、『対人関係療法でなおす 気分変調性障害』でもそのように説明されていますよね。

 

DSM-Ⅲで神経症という概念が解体され、神経症は「気分変調症(抑うつ神経症)」、混合性不安抑うつ障害、不安障害などに再分類されました。

「気分変調症」では軽症の抑うつが改善してくると、パニック障害や全般性不安障害など、不安障害の様相を呈してくることが以前から知られていたのです。(バートン、アキスカル『気分変調症』金剛出版)

 

ニクレスクとアキスカルは「気分変調症」を、トラウマとの関与がある「不安型気分変調症」と、アンヘドニア(快楽喪失)を主張とする「無力型気分変調症」に分類しました。

 

「気分変調症の人はそのことで自分から治療を求めることがない」とされるのは、「ASDの子どもは助けを求めない。それはこの世に信頼できる他者がいないからに他ならない」(愛甲. 愛着障害はどうしたら治せるのか?. そだちの科学 33, 77-82.日本評論社. 2019)という、ASD特性を併せもつ「無力型気分変調症」と考えられます。

 

一方、トラウマの関与がある「不安型気分変調症」は、炭水化物飢餓(大食や過食、ダラダラ食いなど)・鉛様の麻痺・過眠・対人関係過敏という「非定型うつ」の特性も併せもつとされ、背景にあるADHD特性の衝動性ともあいまって「双極II型障害」と診断されていることも多いようです。

また「不安型気分変調症」では、「非定型神経性過食症」つまり「多衝動型過食症」を呈することも多く、抗うつ薬や気分調節薬、抗不安薬などの不適切な治療を受けて、状態が悪化したケースもたびたび目にします。

「多衝動型過食症」と幼少期のトラウマ体験(逆境的小児期体験)の関係については、いつかあたらめて書いてみようと思います。

 

トラウマとの関連で考えると、「気分変調症」は「複雑性PTSD」の特徴である「自己組織化の障害(DSO)」の中心症状である「否定的自己概念」とすごく似ているとも考えられます。

 

ニクレスクとアキスカルが分類した「気分変調症」と、ASDやADHDなどの「発達障害特性」、および、幼少期のトラウマ体験(逆境的小児期体験)や愛着の障害などの関係を考えると、「ASD/複雑性PTSD」≒「無力型気分変調症」、および、「ASD/ADHD/発達性トラウマ障害(あるいは極度ストレス障害)」≒「不安型気分変調症」、とも考えられるわけです。

 

咲セリさんの場合はどうだったのか、「死にたい」の根っこには自己否定感がありました。——妻と夫、この世界を生きてゆく』を読み進めてみましょう。

 

人格を否定されるような言葉を投げかけられるたび、胸がちぎれるほど傷ついたけれど、そのうちに、私は自分自身を責めるようになった。

「悲しむ資格はわたしにはない。できない私が悪いんだ」。

咲・咲生『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました。——妻と夫、この世界を生きてゆく』ミネルヴァ書房

 

「悲しむ資格は私にはない。できない私が悪いんだ」と罪責感にかられているセリさんは、「気分変調症」だったのでしょうか?

 

セリさんの場合、25歳未満、とくに思春期に発症のピークを迎えるとされる「純粋型・気分変調症(中核群)」よりも、ずいぶん若い発症です。

「純粋型・気分変調症(中核群)」では、自己否定のきっかけははっきりせず、進学や進級など環境の変化を機に、いつの間にか漠然とそう感じるようになる「無力型気分変調症」と似たような発症の仕方をすることがほとんどです。

 

セリさんが感じていた罪責感は、「逆境的小児期体験」やトラウマの文脈で考えると、「複雑性PTSD」の「自己組織化の障害」のうち「否定的自己概念」と同じようにみえます。

 

「否定的自己概念」は、ヴァン・デア・コークの「DESNOS(特定不能の極度ストレス障害)」の下位カテゴリーのうち、「慢性的な人格変化(自己概念の変化)」として記載されます。

代表的な項目を挙げると、以下のようなものです。

 

  • 自己認識における変化:慢性的な罪悪感と恥辱感、自責感、自分は役に立たない人間だという感覚、とりかえしのつかないダメージを受けているという感覚。
  • 加害者に対する認識の変化:加害者から取り込んだ歪んだ信念、加害者の理想化。

 

「複雑性PTSD」の診断基準で「否定的自己概念」は、「強く深い恥じの感情や罪悪感を伴う「ちっぽけで、無力で、価値のない」といった自己感に圧倒され」ます。(齊藤「子どもの複雑性トラウマをどうとらえるか」in 原田・編『複雑性PTSDの臨床』金剛出版)

 

「否定的自己概念」は、「虐待の構造として、直接的にそのような言葉をかけられている場合もあるし、自分が悪いとか自分は愛情やケアを受けるに値しないと認識する場合もある」とされています。(丹羽「複雑性PTSDの病態理解と治療 認知行動療法〜STAIR/NSTの立場から」in 原田・編『複雑性PTSDの臨床』金剛出版)(『複雑性PTSDと否定的な自己概念』参照)

 

だけど、その事件が起こったのは、そんな何でもない日の夜だった。

夕食中、お酒を飲む父の前で、弟はたどたどしい手つきでスプーンをつかんでいた。まだ慣れていないせいで、ついぽろぽろと食べ物をこぼす。隣にいた私は、昔、自分がそれで父に怒られたことを思い出し、やんわりと弟を注意した。

「ちゃんと食べなきゃだめでしょ」

その瞬間、父は、血相を変えて私を怒鳴りつけた。

「おまえに、そんなことを言う資格はない!失敗作のくせに!」

この時の記憶は、つい最近まで、まるでケシゴムで消したように、私の中にはなかった。
だけど、思い出すと、自分がこの家に「いらない人間」なのだと思うようになったのは、その時からだ。

咲・咲生『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました。——妻と夫、この世界を生きてゆく』ミネルヴァ書房

 

セリさんの場合は、幼少期からの愛着外傷に伴って「否定的自己概念」が内在化されたと同時に罪責感が強くなった、と考えた方が良さそうです。

 

上記の引用では、「この時の記憶は、つい最近まで、まるでケシゴムで消したように、私の中にはなかった」、と解離性健忘の様相を呈していることが重要です。内在化された記憶が解離されているのです。

 

子ども虐待の症例に認められる併存症で、愛着障害よりも頻度が高い後遺症が、解離性障害である。解離とは、身心の統一がバラバラになる現象である。

非常に苦痛を伴う体験をしたとき、こころのサーキット・ブレーカーが落ちてしまうかのように、意識を身体から切り離すという安全装置が働くことが、もともとの基盤になっている。

この解離によってトラウマ記憶はしばしば健忘を残す。その一方で、このトラウマ記憶は、フラッシュバックという形で突然想起される。

杉山『発達性トラウマ障害と複雑性PTSDの治療』誠信書房

 

解離性障害は統合失調症と間違われやすいこともありますが、逆に、逆境的小児期体験がある場合は、統合失調症が解離性障害と診断されていることもあります。

 

セリさんが体験したような健忘を伴う解離の場合は、心のなかの心的現実と外的現実が完全に分離、もしくは遊離してしまっていて、心の中に両者を併置することができません。

空想の中に現実の成分がわずかにでも混入してくると、空想全体が崩壊してしまいますから、それを防ぐために空想に没頭するのですが、そうすると、フラッシュバックが襲ってきます。

このようなこころの原始的モードは「プリテンド・モード」と呼ばれます。

 

摂食障害や依存症の患者でよくみられるように、面接中には一見洞察的に思える発言をし続け、治療者に治療の進展を強く確信させるにもかかわらず、現実にはほとんど症状が変化しないという一群の患者も、こころの内と外とがあまりにも解離しており、プリテンド・モードで機能しているといえます。

池田『メンタライゼーションを学ぼう——愛着外傷を乗り越えるための臨床アプローチ』日本評論社

 

「否定的自己概念」の症状が強くなってしまったセリさんはどうなっていくのでしょうか。

次回も読み進めていきましょう。

 

複雑性PTSD、発達性トラウマ障害など、愛着関連のトラウマや愛着の問題、発達障害との関係についての一般向けの書籍は、『発達障がいとトラウマ』を参照してくださいね。

 

院長

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