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心の蓋 

[2020.08.28]

私は大学進学のため、初めて実家を離れて一人暮らしをすることになりました。私は両親の喜びとは裏腹に、ほんの少しの希望とその何倍もの不安でいっぱいでした。

高校生まで家の手伝いをするくらいなら勉強しろと言われて育った私が、いきなり一人暮らしを始めることになったのです。

 

恥ずかしい話ですが、それまで料理も洗濯も掃除もほとんど経験がありませんでした。また、田舎育ちで公務員の娘である自分が、私立の医学部に入学するということも不安でした。自分は場違いな存在ではないのかと。

さらに家を出る前、母からは「アパートのトイレが詰まったらみんなに迷惑がかかって大変なことになるんだから、失敗しないようにしなさい。」と繰り返し言われていました。母の言う失敗とは過食嘔吐のことです。どうやって生活していったらいいのかさえ分からない上に、過食嘔吐しないように、と釘を刺されたことで、入学後の不安や恐怖は増すばかりでした。

 

入学後は、何をするにも初めてのことだらけで毎日毎日緊張の連続でした。それでも、1年生の頃は、一般教養といって全学部共通の授業を選択して受けることができました。心理学や倫理学、語学などの授業はとても楽しく、私にとってはそれが救いでもありました。

しかし、2年生になり一般教養の授業がなくなると、医学部だけの授業になりました。この頃から私は、医学部に身を置いていることに違和感や疎外感を感じるようになりました。興味を持てなかったり、全くついていけない授業もありました。そんな講義をただ座って聴いていると、自分だけが置いていかれているように感じ、孤独で、情けなくて、授業中に涙してしまうこともありました。さらに解剖学の実習が始まったことも、自分は本当に医師に向いているのだろうかという思いを強くさせました。

 

これまで何度も医学部進学という道に疑問を抱き、けれどそのたびに親からは「医学部に行った後なら好きなことをしてもいい。だからまずは医学部に行け」と押し戻され、やっとの思いで入学しました。

当初は、医学部に行けば何かが変わるかもしれないという淡い期待を抱いていましたが、現実はそう簡単ではありませんでした。それまでおそらく私の中にくすぶっていた疑問が、ここにきてはっきりとその姿を現したのです。私は医師に向いているのだろうか、なぜ医師になろうとしているのだろうか。そもそも私は医師になりたいのだろうか…。私は、深い霧の中に迷い込んだかのように行く先を見失ってしまいました。

 

そしてこの頃、幼少期から今までの、自分でも忘れていた記憶が波のように襲ってきたのです。保育園生の時に、誕生日会で「ピンクレンジャーになりたい」と言ったら年上の子に笑われたこと。小学3,4年生の時、算数の授業中クラスの女の子が泣き出したこと。小学5年生のクリスマスに家に届いた匿名の手紙。中学校の生徒会長選挙で落選し、その後親が先生に電話をし私は生徒会に入らなかったこと。

挙げればきりがありません。次から次へと嫌な記憶が溢れ出してきたのです。

そしてその後さらに私を襲ったのは激しい自己嫌悪でした。あの子が授業中に泣いたのは、今の私と同じ気持ちだったのかもしれない。あの頃の私は授業についていけない辛さなんてちっとも分からなかったし、考えたこともなかった。私はなんて冷たい人間だったんだろう…。

 

こんなふうに、自分が今までいかに周囲の人の気持ちを理解せずいい気になって生きてきたのか。どれだけの人を傷つけてきたのか。そしてそんな自分がどれだけ周囲から嫌われていたのか、そして嫌われて当然の人間だったという事実を突きつけられた気がしたのです。そして、そんな自分に絶望し、どん底に突き落とされたような感覚でした。

けれど、自分に一体何が起きているのかは理解できませんでした。なぜかは分からないけれどただ苦しくてつらくて、でも周りにはそのつらさはどうやっても伝わらないような気がして、でも傷みだけは確かに感じている。その苦しさから逃れるために、少しでもその傷みを感じないようにするために過食やアルコール、リストカットなどの方法で紛らわせようとしました。

結局、何とか3年生には進級したものの4月になって1日も登校できず、私は1年間休学をすることとなりました。

 

数年前に生野先生から勧められて読んだ本があります。精神科医の崔烔仁先生が書かれた「メンタライゼーションでガイドする外傷的育ちの克服」です。この本を読んで、私はやっと当時自分に何が起こったのかを理解することができました。

この本の中に、マンホールの蓋を全体重をかけて必死で押さえている女の子のイラストがあります。私はこの絵を見たとき、あの時の私は、この蓋を押さえていたことにも気づかないまま蓋が突然開いてしまって、下から溢れ出した記憶の波に溺れそうになっていたんだなと感じました。

この本は、治療者としての私に生野先生が勧めてくださったものでしたが、自分自身の理解の総仕上げという意味でも非常に役立ちました。

 

今日は生野先生が初診の私にかけてくれたこの言葉を、今度はこの文章を読んでくださったあなたに私から届けたいと思います。

 

「今までよく生きていてくださいましたね。」

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