食行動障害・摂食障害と「関係性の病」

「乱れた食行動で悩む女性たち」は「食行動」一本でいろんなものを解決しようとして悪循環になってしまっています。

摂食障害と幼少期の養育者との関係』で女性に摂食障害の患者さんが多いのは、情緒的問題として自己の内的な苦痛を生じる内在化障害が関わっていて、内的苦痛を「食べるという行動」で紛らわす外向次元の障害として表現されていることを解説しました。

「乱れた食行動で悩む女性たち」がアタッチメント欲求の表現を最小化する(助けを求めない)のは、助けを求めても助けが得られなかったという「学習性無力」によるのかもしれません。

彼女たちの多くが人生の早い時期からいくつもの困難を重ねてきたことに驚かされる。しかも共通していることは、周囲に助けを求められる環境がなかったか、たとえあったとしても「助けて」と言ってよいとは思っていなかったことである。
この点から、彼女たちの気分転換はかなり差し迫って選ばれ、しかも選択の幅が限られていたことがわかる。
彼女たちの多くは子ども時代に、アルコールや覚醒剤ではなく、爪噛みや抜毛、軽い自傷などを使っていた。
誰かが気づいてくれ、「どうしたの」と聴いてくれ、話せるまで待っていてくれたら、もう少し別の気分転換やもっといい解決の仕方が見つかったかもしれない。

(中略)

学校に居場所を見つけようとする女性は、精一杯「普通以上」でいようと努力している。勉強も部活も、友人関係も完璧にこなそうと頑張る。
家のなかには緊張と冷たい空気が充満しており、バイト先から寝るためだけに家に帰る。自分の部屋で静かに過食を始める。嘔吐はコンビニの袋に行い、しっかりと縛ってゴミの日に自分で捨てる。
大学受験をなんとかこなしたと思ったら、今度は就活が待っている。女子は優秀なだけではだめで容姿も重要だから、息が抜けない。
いつもどこか苦しい感じがして、心のそこからほっとできない。自分だけうまくいかないような気がしてしまう。

大嶋「女性とアディクション——ジェンダーの視点から現象をみる」in 『やさしいみんなのアディクション』金剛出版

 

小さい頃から感情を表現する場がなかった、あるいは感情を表現しても受け入れてもらえなかったために、溢れそうになる感情の蓋を必死で押さえている姿が目に浮かび、息苦しくなるような思いがします。

食行動障害の中でも、「過食性障害(むちゃ食い症)」や「大食をともなう排出性障害」の女性はこのような〔対人恐怖的回避型〕あるいは〔遠ざかり境界性自己障害〕というネグレクト的な対人関係スタイル(心の鎧)で自分を守っていることが多いですよね。

 

一方、典型的な「神経性過食症(いわゆる食べ吐き)」の女性は、〔アンビヴァレント型(とらわれ型)〕の要素があることが多く、対人関係の疎外に敏感で、承認欲求が強い、いわゆる「アダルトチルドレン」のような特徴をもつ人も多いのです。

しかしある日、住む場所を与え、食事できるお金を与え、すぐに車でどこにでも連れて行ってくれるような人たちが現れる。

彼らはすぐに彼女たちの身体を、心を、「支配(コントロール)」する人になるが、彼女たちは「支配(コントロール)」をしばしば「愛情」と勘違いする。どこかで疑いながらも、自分に寄せられる関心を嬉しく感じずにはいられない。

大嶋「女性とアディクション——ジェンダーの視点から現象をみる」in 『やさしいみんなのアディクション』金剛出版

 

「アダルトチルドレン」は病名や診断名ではありませんが、承認欲求の葛藤が中核にあり、自罰的で自己評価が低く、感情の認知・表出が苦手で、批判を恐れ過剰適応しがちという心理・対人関係パターンをもつことが特徴とされます。

このような〔アンビヴァレント型(とらわれ型)〕の愛着スタイルの女性たちは、「関係性の病としてのアディクション(共依存)」に陥りやすいと言われています。

関係性のアディクション(依存症)とは、人間関係へののめり込みや囚われを特徴とするアディクションである。

(中略)

共依存という言葉の定義は、まさにさまざまで「人に必要とされる必要性」とか、「他人(ひと)のために自分を犠牲にする人」、あるいは、「周囲の人たちに評価、賞賛、感謝されて初めて自己肯定感を得る人」など、さまざまなものがある。共通しているのは、どれも特殊な人間関係の持ち方を指す言葉として使われているところである。

こうした定義は、共依存が人間関係を指す言葉という理解に基づいている。
しかし、この言葉の成り立ちとして説明したように、正確に定義すれば、「共依存とは、依存症者などの、問題のある、病的な行動に対応するなかで身につけた不適切な考え方と行動であり、習慣化するもの」なのだ。

そして、共依存をベースとした不適切な考え方と行動の特徴は、「ある人の、問題のある、病的な行動を何とかするのが自分の責任であり(考え方)、自分には何とかできる(行動)と思い違いをすること」という共依存の二次的な特徴を生み出すのである。

(中略)

そして共依存は、それ自体がアディクションであるばかりか、すべてのアディクションのベースになり得るものである。

水澤「関係性の病としてのアディクション」in 『やさしいみんなのアディクション』金剛出版

 

共依存の二次的な特徴の例として『愛着のパラドックスと重要な他者(アタッチメント対象:セイフティ・パーソン)への依存』『巻き込み強迫』について書いたことがありますので参照してくださいね。

 

院長