摂食障害の治療の問題〜カウンセリング

医療の現場では、「短時間診療」と「エビデンスのある精神療法を施行できる治療者が少ない」という問題で、摂食障害の有効な治療が受けられないという現状について、前のブログで触れました。

では医療ではなく、カウンセリング(心理療法)ではどうかというと、これも深刻な問題のようです。

 

そもそも、摂食障害は病気ですから、精神療法という医学的に行われる「治療」が必要なのですが、精神療法とカウンセリング(心理療法)では、技法が共通することもあり、医師でも違いを理解していないことが多いようです。(『精神療法とカウンセリングの違い』参照)

心理療法やカウンセリングは医療ではないため、医師の指示がない限り、「治療」という言葉は使えません。
かつてC.G.ユングが述べたように

心理療法の最高の目的は患者をありえない幸福状態に移そうとすることではなく、彼に苦しみに耐えられる強さと哲学的忍耐を可能にさせることである。

ということから、カウンセリング(心理療法)は、病気の治療ではなく、悩みや葛藤の解決が目的であり、そのため、摂食障害を「克服する」と謳っています。(『抑うつ状態に薬は必要なのか』参照)

摂食障害は、本人の意志の弱さによるコントロール不能状態、甘えの表現などと見なされ、治療すべき状態ではなく、「本人の問題なのだから意志の力で克服するもの」と誤った認識が堂々とまかり通っていて、さまざまな不適切なやり方が横行しているようです。

 

たとえば、三田こころの健康クリニックで対人関係療法を受け過食症がよくなった梅こんぶさんも、認知行動療法もどきのカウンセリングで、セラピストから「少しは過食もコントロールしないと!」「貴方は頑張ってない!!摂食症状は、甘えだ!」などと叱責され、絶望されたことに触れ、患者(クライエント)を責め、罪悪感を刺激するだけだったと振り返っていらっしゃいます。

 

「意志の力で克服する」というやり方は、対人関係療法で重視する「医学モデル」とは正反対ですよね。
なぜふつうに食べられないのか』から引用です。

このカウンセラーから「裸になって自分を解放すれば、回復できる」と言われたというのである。
彼からそう言われた際、田辺は勢いで、「いいですよ」と思わず答えてしまった。しかし彼から「後悔するといけないから、よく考えるように」と言われ、考え直した田辺はその提案を断ったが、それ以降も裸になれば治るといわれ続け、彼のカウンセリングを続けるべきか、田辺は迷っていたのである。
(中略)
なんとそのカウンセラーは、「思考を現実にできる」とか、「念を入れれば人も殺せる」といったことを言っており、田辺は恐怖感を抱いていたのである。
磯野真穂『なぜふつうに食べられないのか 拒食と過食の文化人類学』春秋社

セラピスト—クライエント関係では、このような主従関係が起きやすくなります。
まさに洗脳ですよね。

 

臨床心理士の倫理要綱では、「個人的欲求または利益のために行ってはならない」など、対象者との関係について社会的責任と道義的責任を明記してあるのですが、このカウンセラーは臨床心理士ではないのかもしれませんね。

また別の例はもっとひどいです。

それははじめは無料であるが、その後一日五時間で八万四千円、二日十時間で十六万円というカウンセリングに誘導されるものである。
結城はこのとき無料相談機関を利用している最中であり、掲示板に気持ちを書き込み、電話相談を受けることで、過食嘔吐がやや軽減したと感じていた。
さらに、電話では、再発を防ぐための有料面接を受けることを勧められ、近いうちに予約を入れようと考えていた。
わたしはこの無料相談だけでなく、他にも治療と称し高額の料金を請求する業者を知っていた。
したがって結城の判断に調査者の私がとやかく言うことには逡巡があったものの、「摂食障害の治療実績あり」とホームページに明記しながら、事務所の場所や電話番号を記載していないのは明らかにおかしいと話し、また二日間大金を払って治るのであれば摂食障害で苦しむ人は今頃ほとんどいないだろうことを伝え、カウンセリングを受けるのは思いとどまったらどうかと提案した。
磯野真穂『なぜふつうに食べられないのか 拒食と過食の文化人類学』春秋社

この怪しげな無料相談からの高額料金の請求の話は、三田こころの健康クリニックでも何人かの患者さんからお聞きしたことがあるのです。
「藁にもすがる思い」の摂食障害の患者さんの弱みにつけ込んだ悪質な商売ですから、皆さんも注意して下さいね。

院長