「過食症」の不安に向き合う

「拒食症」に限らず「過食症」でも、「それまでのやり方が通用しなくなった状況」や、「足下がすくわれる」体験で発症することが多いのです。

 

それまでのやり方が通用しないために「藁にもすがる思い」でしがみつく「藁」に相当するのが、「体重や体型とそのコントロール」ということです。

「自分一人で努力すれば何とかなる」というパターンが、「体重や体型とそのコントロール」に向けられるため、体重の減少や、やせという一過性の達成感は得られます。

彼女たちがうまく食べられなくなったきっかけは、いじめ、身体への揶揄・友人・家族関係のいざこざなど、人々とのつながりの間に生じた亀裂であった。
その亀裂が苦しかったからこそ、彼女たちはやせることに活路を見出そうとしたのである。
そして彼女たちの試みは、ほんのひとときであるが、成功を収めた。
磯野真穂『なぜふつうに食べられないのか 拒食と過食の文化人類学』春秋社

 

しかし「体重や体型とそのコントロール」は、本質的な問題の解決につながっていないため、「耐性」という満足できない気持ちから、もっともっとと、のめり込んでしまうのです。

ここでいう「本質的な問題」については「人と人とのつながりをより快適なものに修正すること」と著者は言及しています。

彼女たちが食べ方を変えたそもそものきっかけは、人と人とのつながりをより快適なものに修正することだったのである。
しかしそれは結果的に、孤立という彼女たちがもっとも望まない方向に彼女たちを誘導することとなった。
磯野真穂『なぜふつうに食べられないのか 拒食と過食の文化人類学』春秋社

それまでのやり方が通用せず、霧の中で遭難したような状況で、「人と人とのつながりをより快適なものに修正する」ために主体的に取り組んだ「体重や体型とそのコントロール」がますます対人関係を疎外し孤立に追い込んでしまうのです。

 

ところが、摂食障害の専門ではない医師や、摂食障害の専門であっても精神療法を知らない医師は、コントロール出来ない食行動=摂食障害と見ますので「拒食なら頑張って食べること」「過食なら我慢して食べないこと」と、コントロール出来ない症状をコントロールするよう強要し、患者さんはますます、出来ない感じを強めてしまうのです。

 

過食から始まる摂食障害も、発症状況は似ていて、過食により感情を麻痺させることでますます「現在位置の確認」ができなくなり、「高まった不安を麻痺させるために、また過食にのめり込む」という悪循環が生じてしまうのです

水島先生は「過食の不安は、拒食の不安と若干おもむきが違う」と書かれています。

「過食」が継続的・反復的な心理教育を必要とするのに対し、「拒食」の場合、位置づけが出来るだけでも治療的だからである。
イメージとしては、「過食」の場合は筋力トレーニングをする必要があるが、「拒食」の場合は遭難している人に道を教えるだけでも充分だという感じである。
(中略)
治療の中では、その不安をやわらげながら、実際に相手に伝えて状況を変えるという体験を繰り返してもらい、徐々に自信をつけてもらう。
治療という安全な環境の中で不安なことにチャレンジしていくというこの手法は、不安障害におけるエクスポージャーと同じ理屈を持つものである。
水島広子『摂食障害の不安に向き合う』岩崎学術出版社

つまり過食症では「冒険心(新奇追求)」という行動力を使って、心のブレーキを外す(不安であっても取り組んでみる)ことで、「自信(≒自己効力感)」を回復していくことと、コミュニケーションを通じて相手に伝えることで、意見(考えや気持ち)を認められるという体験を通じて「自己肯定感」が高まってきますよね。

状況に応じて行動変容を起こすことができる「自己効力感」を通じて「自己肯定感」を高め、「自分自身への信頼感」が培われてくると、自分と考え方の違う他者であっても認めることができるという「他者への信頼感」が育ってきます。

その他者からフィードバックをもらうことで、さらに「自己肯定感」も高まる相乗効果が起きることが対人関係療法の特徴ですよね。

院長