対人関係療法で「気づき(アウェアネス)」を培う

アルバイト先で、リーダーにヘンに思われるんじゃないかとすごく気を遣って、アルバイトが終わるとヘトヘトに疲れていました。
帰るときに過食したくなったんですけど、帰ってから母に話を聞いてもらおうと、がまんして帰りました。
うちに帰ると母は電話中で、誰かと楽しそうに話していました。私がこんなに疲れていて、過食したくなっているのがわかったはずなのに、私をちらりと見ただけで、電話を切ろうともせず、おかえりも言ってくれませんでした。
私はすごくイライラしました。
こんなに頑張ったのにわかってもらえてないと、見放されたような悲しい気持ちになって、家中のものを全部食べてやる!と決めて、キッチンに入りました。

そこで目が覚めました。

この夢と同じような状況は、過食症の人ではよく起きますよね。
さて、この夢から覚めたときに過食をする人はどのくらいいるでしょうか?

 

「だって夢なんだから現実とは違います。過食なんてしません。」と多くの人が答えますよね。
では、夢の体験と、現実の体験は何が違うのでしょう?

 

夢の中の「私」も、評価への過敏性のスイッチが入って、母に対して「モヤモヤ」した気持ちになっています。夢を思い出すだけで、その気持ちもよみがえってきますよね。だけど、夢の場合は、過食につながらない。

一方、現実の出来事で夢と同じことを体験すると、感情の動きの中に飲み込まれ、身動きできなくなってしまいます。そのため、感情を麻痺させようと過食につながったり、なかったことにしようと、自己誘発嘔吐が起きたりしますよね。

 

夢の体験と現実の体験の違いは、全体が見えているかどうかのちがいがあるのです。夢でなくても、TVドラマや映画でも同じことです。
物語に感情移入し、ハラハラドキドキ感情が動いたとしても、あの場面が面白かったと体験から一歩引いて(identify)、ひとまとまりの体験(出来事)として全体をみながら(recognize)、同時に自分の内的感情体験をみることができているわけです。

これを「メタ認知」、認知に対して高次の視点から全体をみる認知と呼びます。
対人関係療法では「メタ認知」という言葉は使いませんが、「何が起きたのか」を中心に「自分の気持ちをよく振り返る」という自己客観視で取り組んでいますよね。

 

もう一つ、現実の出来事での体験とTVや映画、あるいは夢との違いは、夢では「良い/悪い」のジャッジメントや「こう思われるのではないか」などの脳内劇場が作働しにくく、体験をダイレクトに体験し、「感情は感じた以上は正当なもの」という意識になっていますよね。

じつはこれが、過食症やむちゃ食い障害の対人関係療法、あるいは気分変調性障害の対人関係療法で教えている「現実に戻る」ことでもあるのです。

 

その土台を作るために、三田こころの健康クリニックでは、心をやすめ、心をもって心をみるというマインドフルネスで、経験に対して「気づき(意図と注意:心を用いること)」をもって向き合うことを教えていますよね。(マインドフルネスストレス低減法などのマインドフルネスとは違うやり方です)

 

目が覚めるという「気づき」が起きると全体をみるメタ認知の視点をが生まれ、何が起きたのか、とひとまとまりの体験として叙述することができ、体験との間に空間(距離)があることがわかり、体験に飲み込まれることがなくなってきます。
「気づき」がないと、思考や感情に支配され、その奴隷になってしまいますが、「気づき」があれば、思考や感情は自分を助けてくれるものとわかってきます。

 

たとえば気分変調性障害の人では、自分はダメだというジャッジメントや脳内劇場の背後には、「怖れ」や「不安」などの感情が潜んでいることがわかるようになり、どんなに恐ろしい思考でも、それに飲み込まれず支配されることもなく、見守ることができ、現実に戻り、問題解決に取り組むことができるようになってきます。

 

過食症の人では、過食のスイッチが入るか入らないか、過食をするかしないか、という「All or Nothing」の葛藤から、過食のスイッチが入ったとしても、感情の大きさで過食の量が変化する「あぁ、あれね!」過食になり、しだいに、過食につながる不快な感情が起きても巻き込まれたり、邪魔されることなく、「本当はどうなって欲しかったか」という「感情を指標に現実を変えていく」ことに取り組みやすくなってくるのです。

このような心の変容のプロセスや治り方は本にも書いてないですし、医療機関に通院中の方も説明を受けたことはないですよね。

 

三田こころの健康クリニックの過食症やむちゃ食い障害、あるいは気分変調性障害の対人関係療法による治療ではこういうことに取り組んでいるんですよ。

院長